3【生き方】怒りと悲しみは表現不要

腹が立ったとき…あんまり怒れません。
どちらかと言うと無言になります。
無言でも怒っているわけではありません。
どちらかというと考えています。
悲しいとき…あまり泣けません
どちらかというと無言になります。
無言でも泣いているわけではありません。
どちらかというと考えています。

なんかトリセツみたいになったw

ヒューマンエラーとシステムエラーについて考えていたとき,
この考えがしっくりきたのは,たぶん本能的に前々からそういう思考が自分のなかにあったからだと思う。

システムエラーを考える場面は,ようは「エラー」つまりマイナスが存在するってことだから,マイナスな感情を抱く場面こそシステムエラーを探る場面だと思うわけです。

だとすると,怒りとか悲しみとかって表現する必要のない感情なんじゃないか(抱くことじゃなくて,表現することの話ね)

怒りって何なんだろう。。

誰かが何かをミスった
それを怒ることに生まれる効果を考えると
その相手(Aとする)は萎縮する
萎縮するのは,やべっと思った場合かな。
ただ,内心で,心底反省するかどうかって結構微妙
たぶんAなりの理由があると思う。
それなのに切れられたら…
建前としては,シュンとするけど,本心は「うるせーよ」って思うだろうね。
そればかりか,反省したふりしてやってるぞ,どうだ満足か?みたいなテンションになってるかもしれない。
そしたら…???

そもそも怒るのはなんのため?
再発を防ぐため?

例えば,いいことがあったときに嬉しい顔をする。
それって,そういう感情を「知ってほしい」からするわけだよね。
嬉しい顔のもつ意味は,感謝とかかな。
彼女が彼氏に微笑みかけるのは,あなたがいて幸せです,ありがとう
の現れだよね。
感情がもつ意味と,表現されている感情とか,「=」の関係になっている。

じゃあ,怒りは?「=」の法則で考えるなら
怒っている自分を知ってほしいと考える方が素直だ。

そもそも…怒ってる真っ最中って,
今はもう仕方ない,でも今後同じ事を繰り返してほしくないんだ
っていう気持ちの人ってあんま見ないよね。
怒り≠感情 っていう構図だからね
昔は,怒る教育みたいなのもあったし,子供を怒るのは教育として効果があると思う。お母さんは,同じ事を繰り返してほしくないって気持ちから怒ったりすると思う。
怒り≠感情がなりたつのは,「愛情」ありきの「怒り」だよね
そもそも,いい年こいたおっさんが,いい年こいたおっさんを怒ったってね…教育もへったくれもないし,「愛情」があるってのもごく稀だわ
そうなると,怒るのは
自分の思い通りにいかなかった感情の表現
に他ならないと思う

君のためを思って怒っているんだ
という表現を聞くけども,そうじゃない。
感情的に怒ったけど,みっともないから,君のためを思って怒っている僕を演じているように後付してるんだ
ってのが正解だ。

怒りっぽいっていう言葉がマイナスの意味で使われるから
どうしても怒りっていう感情を隠したがる
怒っているんじゃない,君のためなんだってね。
なんて自分本位なんだ。。。
「怒ってます」「むかつきました」でいいじゃんね。

本当に,再発防止のためならば,怒るよりも先になんで,その人のことがそんなことをしてしまったのか,「システムエラー」を探ることが大切だと思う。

私の場合,怒れないのは,感情的以外には怒れないことを知っているから。
冷たい言い方になるかもしれないけど,「愛情」ありきの「怒り」を表現することが出来ないから。
そして,「愛情」ありきの「怒り」ではなく,単純な「怒り」という感情をぶつけられた相手方が,抱くのは,反省ではなく,反発だと思うから。
みんな自分がかわいいから,怒られたとき素直に反省できるのは稀だと思う。何かと理由をつけて「だって」「でも」が始まる。素直に怒りを受け入れることはできない。
そしたら最終的にますます私の怒りは増幅する結果になるだろう。。腹が立ったから怒ってるのに,また余計に腹が立つことになる。
そんな考えだから,なかなか他人には怒れない。
体力つかって怒っても,自分が意図した方向に向かない可能性の方が高いからね。
怒ることによって,改善を目指すのならば,その目標達成のためには,私の怒りの後には,「改善」っていう私の意思では,いかいかんともし難いもの(他人の行動)が共同作業のように存在しているから…
相手の感情をコントロールする術が私にない以上,怒っても自分の意図した方向に向かない可能性の方が高いんだと思う。

だとしたら,怒るよりも「なんでこうなったんだろう」って考える方が生産的だ。もちろんその時は,相手とも一緒に考える,あるいは,考えた結果を報告して,一緒に再発防止をはかるけど…。
これがシステムエラーを探るってことで,最終的にロスが少なくなる最短距離だと思ってる。

実は…同じ理由で悲しみっていう感情も同じ

例えば,
悲しい顔がもつ意味は,慰めてほしい,とか,もうこんなことしないでほしいとかかな。
彼女が彼氏に対して泣くのは,怒りに似た感情である場合も含め相手に何かを求めているときだよね。
もうこんなことしないで,っていう意味とか,慰めてっていう意味の悲しみは,他人に「こんなことをしないこと」「慰めること」を求めちゃってるから,悲しみ≠感情なんだよね。

だから,やっぱり,あんまり悲しいって感情を表現しても意味がないし,泣くなんてもってのほか。
目的に対するアプローチとしては,全く無意味だと思う。
本当に望んでいるものがあるなら,ストレートにそれに働きかけた方がいい。

とはいえ,泣いたり怒ったりそういうマイナスな感情ってどうしても出てきちゃうから,抱くことは問題ないけど,
どうしたいかっていう目的達成のためには表現は不要かな。

そもそも職場とかで表現すると空気悪くなるしね。

でも表現をしないのは,「我慢している」からじゃなくて「表現する必要がないから」だってことを忘れちゃいけない。

我慢しているっていう思考は,我慢したって思えば思うほど,その出来事について考えてしまうから,結果として,怒りとか悲しみとかの我慢の対象物が増幅しちゃうんだ。
だから,我慢してるんじゃなくて,必要がない
これは鉄則

なかなか難しいし,そんなきれいに実践できないけど…
少なくとも経営においては大事かな。

人付き合いとしては…若干サイコパス感が出そうだし
彼氏彼女や家族の間には「愛情」が存在するから,怒りとか悲しみがちゃんと「≠感情」であっても通じたり,意味をもつと思うんだ。
職場でもそうであれたらいいけど…
今の私にはまだ無理かな。。人が増えれば増えるほど,無理になると思う。
だから,私はヒューマンエラーを探る術を習得し続けていこうと思う。



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