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クッキーが焼けるまでの数分間について 【遠回しなレシピつき】


(執筆日:2014年8月27日 関口舞ブログより転載。)

時間が早く流れればいいのにと思うとき。眠るべきでない時刻に、たいした眠気もないのに、布団をかぶって目を閉じていたらそのまま夢に溶けてしまうことがある。時刻は正午で、暑い夏であることを示すのはカーテンの隙間から漏れる強い日差しだけ。部屋の中は少し寒いくらいに、クーラーが冷やしてくれている。日差しが掛け布団のうえに丸い水たまりのような光を作って、そこだけがとてもあたたかい。

夢のなかでどこか遠くにいて、男性と一緒に暗い道を歩いていた。どこに向かっているのかわからなくて、でも尋ねるのもなぜか、なんとなく悪いような気がしていて、黙ったままひたすらに前に進んでいく。途中で風が強くなって、 その風がだんだん白い色に染まり始め、目の前が真っ白になって何もみえなくなる。私はひとまず1人で走って遠くまで逃げて、やっと目の前が開けてくる・・・

目を開ける。あの人はどうなったんだろう?しばらくはベッドの中で考えながら天井を眺めていた。天井の色、壁の色、どちらも真っ白で、夢の中で包まれた風と同じ色。なぜ夢にあの人が、あんな形で出てきたのだろう、そしてあの人は今どうしているだろう?携帯に手を伸ばし、連絡をとってみようかと少し考えたが、数ヶ月に 1 回程度“機会があれば会う”くらいの、たいして親しい仲ではないことに気がついてやめておいた。

「こんにちは、先ほどあなたが夢に出てきまして、どこか遠くで一緒に歩いていたのですけど、白い風に包まれてはぐれてしまいまして・・・その後どうなったのかなと気になったものですから・・・」

こんなことを言われても、困らせるだけであるのは明らか。しかし、いっそのことそれもいいかもしれない。頭がおかしいと思われるかもしれないけれど、 何も思われないよりは良いのではないか?きっと彼は私に対して、これといった印象をもってくれていないのだから、せめて「あなたのことを夢にみたのです」と伝えて、「ただの知り合い」から「ちょっとおかしな知り合い」に昇格もしくは降格し、いずれにせよ印象づけ、しかるのちにゆくゆくは「友達」になれるかもしれない。だが、そもそも私は彼にそこまで好意を持っているのだろうか?いままで、何か特別な気持ちを抱いたことなんかあっただろうか?何の思い入れもない相手が、夢に出てくることだってよくある。

布団から出て、グラスに水を入れてまたベッドに腰掛ける。夏のせいで、水道から出した水はぬるい。唇をつけてみたが飲む気がおきないので、逆に熱くしてみようと考え、やかんに入れて火をつける。

このとき出し抜けに、クッキーでも焼こうかな、と思いつく。それがこんな気怠い昼過ぎに、最もふさわしい過ごし方であるように思えた。
冷蔵庫をあけて、小麦粉と、バターがあることを確認する。砂糖はもちろん切れてはいない。私が作るクッキーは、材料はこの 3 つだけで、卵やベーキングパウダーは入れないことにしている。何度もレシピを試してみて、(そのぶん何度も気怠い昼下がりを経験してきて)、一番良い配合を見つけた。食器棚の奥からボウルをとりだしてきて、そこにバターを 100 グラムとる。冷蔵庫から出したばかりなのでまだ固い。意味があるかどうかはわからないけど、窓際に移って、日差しがちょうどあたるようにしながらバターを練る。

夢のなかの彼についてまた考える。何かの折に彼の手が私の髪に触れたことがあることを、急に思い出した。おそらくそれは夢でではなく、現実で。そして意図的にではなく、偶然で。2 人で少し話をするために歩いていた、確か半年前のあのときだったと思う。そのとき居合わせた混み合った場所から一緒に抜け出そうとする過程で、何かの拍子にたまたまあの細長い指が、私の髪を通り過ぎた。髪を引っ張られるような小さな痛みでそれに気がついて振り返ると、彼は手を離し、眠そうに目をこすっていて、それで私もまったく気に留めなかった。そんなことを、 どうして今更、急に思い出したのだろう?

当時は自覚がなかったけれど、この出来事が自分にとっては特別に印象深かいものだったらしい。あのときに彼が着ていた、肌に馴染んだ薄手の水色のシャツのことを覚えている。よれたサンダルのことを覚えている。真意の読めない、栗色の目の色もはっきりと覚えている。しかし私自身がどんな服装をしていて、そもそもどんな事情でその場所にいたのかは、一切思い出すことができない。理由はわからない。

混ぜていたバターは、柔らかいクリーム状になっていた。まずは 50 グラムの砂糖を入れて、すり混ぜていく。シャリシャリとした感触が心地良い。そこに 小麦粉を 180 グラム、計って加える。ゴムベラを使って、混ぜすぎないように合えていく。ひとまとまりにして台のうえに伸ばす。
このとき、わざわざ型ぬきをするのが面倒になった。仕方ないので生地を四角く広げ、そこにナイフを入れてタイル状に生地を切り分けていく。アルミホイルをオーブンの天板に広げ、その上に規則的にそれらを並べていく。本当に壁にタイルを貼っているみたいだ。

本来であれば余熱が必要なのだが、使っているオーブンの、余熱機能の使い方が未だにわからない。生地を並べた天板を中に入れて、180 度にセットしたオーブンで 15 分、スイッチを入れる。

オーブンが動いて温かくなりはじめた。さっきやかんに入れたお湯はとっくに 湧いて、冷めはじめてすらいる。まずは手をせっけんで洗い、小麦粉を落とす。 灰色のマグカップにお湯を注いで、紅茶のティーバックを中に入れ、それを持ってまたベッドの上に腰掛ける。

クッキーが焼けるまでのこの数分間は、何からも干渉されない、自由な時間。 熱いマグカップを手のひらで包んで、少し寒すぎる部屋のなかで、いまここだけが一番安全な場所であるような気がする。

さっきみた夢の中で、歩いていたのはいったいどこだったんだろう。公園のような、緑の多い場所だった。なぜ「どこに向かっているのか、どんなつもりでいるのか」と、あの人に聞けなかったんだろう。私は正直に思うところを伝えるべきだったのかもしれない。そんなチャンスはこの先にもきっと、訪れないのだから。

「あなたとこうやって一緒に歩いている、一緒に過ごしているということが、 実はとても嬉しい。あなたの、まだみんなが知らないような深い部分を私は知りたいと思う。」

オーブンで焼かれ始めた生地の、甘い香りが部屋を包む。 本当はもっと、考えなくてはいけないことがたくさんある。やらなくちゃいけないことも。

でも今は、一旦それらに完全に蓋をして、気持ちの良いことだけを考えていたい。いつまでもこうしているわけにはいかないのはもちろんわかっている、でも、今は。
少なくとも、クッキーが焼けるまでのあと数分間は、こうしてあなたのことだけを考えていても、許される気がしている。


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材料 3 つでできるクッキーのレシピ
【材料】
・ 小麦粉(薄力粉)180g
・ バター(無塩マーガリンでも可)100g
(バターだとより濃厚に、マーガリンだとより軽やかな焼き上がりになりま
す)
・ 砂糖(上白糖)50g
【作り方】常温に戻したバターを柔らかくなるまで練り、そこに砂糖を加えて すり混ぜる。小麦粉を数回にわけて加え、ゴムベラでさっくりと混ぜる。型抜 きをし、アルミホイルを敷いた天板に並べてオーブン 180 度で 15 分間焼く。

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体調があんまりよくなかった、ある休日の出来事の日記をかいてみました。このレシピでつくるクッキーは実際にすごくおいしいので、おすすめです。あまった生地は冷凍しておいて、後日切り分けてそのままオーブンに入れて焼くと、食感が変わってそれもまた良いです。

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