SNSで中途半端な承認欲求が満たされ、渇望感を欠いてしまっていたら、ダ・ヴィンチはモナリザを描き上げていない可能性がある

(執筆日:2016年4月16日 関口舞ブログより転載。)

何か思うことがあったり、世の中に対してすごく言いたいことがあったり、社会に対して「この部分を、このように変えたい」と感じることがあったとする。
それを誰かに聞いてもらいたい。共感してもらいたい。認めてもらいたい。実際に結果として残したい。
そんなときに、どうするか?ということを考えたので。

私は大学生の頃、何かすごく言いたいことがあった。「言いたいこと」というのは別に、何かを批判するとか抗議するとかそういう「物を申したい」という意味のことではなくて、何か、わからないけれど、自分の言葉で、伝える価値のある物語が、どこかにあるような気がしていた。

誰かに聞いてほしくて、そして共感してほしくて、でもすぐ近くにそういう人がいないような気がしていた(いたのかもしれないけど、話そうと思わなかった)ために、世の中に発信したかったから、文章を書いていた。小説の類は、途中で自分の書いたものがくだらなく思えてしまってなかなか完成しない。短い文章や散文詩のようなものは、体調の優れない夕方などにいくらでも書くことができた。そういうものを、文芸誌に送ったり、賞に応募したりしていた。

いくつか掲載されたり、小さな賞の最終選考に残ったりして、そういうことを以ってして初めて私は「自分の持っている物語」が少なくとも、ある程度の価値があって、誰かが興味をもってくれる・共感してくれるということを実感することができた。だから、もっとがんばろうと思った。淡々と、静かに。

今は、そこまでの苦労をしなくても、つまり「誰かに選ばれる」というような不確かで受動的なプロセスを通さなくても、自分の意思と行動で、世の中にこうやって考えを発表して、反応をもらいやすくなったと思う。「目指している賞の一次選考を通過する」という証明がなくても、「たくさん『いいね』と言ってもらえた」ことである程度の安心感を得ることができる。

SNSを眺めている時間が増えた代わりに、文章を書いたり、ああでもないこうでもないと考えたり、自分のやっていることが誰にも認められないような気がして不安になったり、なんだか周りに誰もいないような気がして寂しいと感じたりすることが減った。なんだか常に、色々な人とつながっていて、色々な情報があって、何か思うことを書けば反応がもらえる。とてもすばらしいことだけど、渇望感が減る場合があるのではないかと思う。

私は極端なことを考えるのが好きで、話を大きくする癖がある。なのでここでも極端な例を出してしまうけれど、例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチっていうとてもすごい方が昔、地球にいらっしゃった。私はあの人のことがなんとなく好きだから、上野公園で昔やっていた「ダ・ヴィンチ展」なるものに学生時代に行ってきた。そこで、「人間は飛べるはずだ!私にできなくても、いつか誰かが飛ぶに違いない」という言葉が紹介されていた。

一生をかけてあらゆる研究をして、あらゆる成果を出してきたダ・ヴィンチさん。絶対にこうである、という信念があって、それを確かめ、実証したいという強い想いがあってこそのあの生涯だったのかなと当時感じた。

ところが、果たして彼が(ダ・ヴィンチさんは、そもそもそういうキャラじゃない、というのは置いといて。)、「人間は飛べるはずだ!」とか、「貴婦人の絵を描こうと思っておりましてね」とfacebookなどに書いて、いいね!とたくさん言ってもらい、「そうだそうだ!」「それは無理ですよ。この記事にもあります通り〜」「レオナルドさん天才!」「新しい絵、楽しみです!」などとたくさんの反応をもらい、それによって「ああ、わかってくれる人、いっぱいいるんだなあ」「やっぱり貴婦人っていいテーマだよな」と思って安心したり、「あなたの意見は◯◯の点から間違っています」などといちいち反論にたいして反応したりしていたら、あそこまでの成果は、あっただろうか。モナリザは完成していただろうか?そんなふうに思う。

考えをそのままにしておかないで、文字にして発信して、色々な人の反応を得たり、共有したりすることはとてもすばらしいことだと思う。しかし一方で、良くも悪くも、「自分の言っていること・やっていることに価値がある」という安心感を得たり、「なんだかすごく言いたいことがあって、メラメラしていたけど、みんなにわかってもらえたし、いいや」と気が済んでしまったり、そういう効果を得やすい行為だと思う。

自分から発信をしていくことは、仲間を集めたり、応援してもらったり、同じ想いの人と出会ったり、自分自身の意思を確認したりなど、色々と素敵な効果もある。だから、せっかくこの時代にいるのだから、積極的にやっていきたい。でも、それで自分が中途半端な満足感を得てしまったり、渇望感を欠いたりすることのないように、本当に本当の信念は誰にも一切わかってもらえなくてもちゃんと心の中に灯して、それを実際の成果で証明できるためにこそ、生きていきたいと思う。

結果を出さなければ絶対に理解されず、そもそも人の目に触れることすらできない、そんな状況だからこそ感じる渇望感から生まれた仕事や、発明や、小説や絵や音楽も過去たくさんあったはずだから。

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関口舞

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