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その感情は、どこから、どこに向かっているのか

”この人たちと仕事ができてよかった”
心から、そう思う夜があった。
Facebookの記録をたどるとちょうど1年ほど前のこと。
でも、なんだか今の状況だからこそ、あのときのことが強く思い出される。

”食べるをおなかで考える”というテーマで、2泊3日で村に泊まり、お母さんたちからクメールの発酵食「プラホック」を一緒につくらせてもらうという旅の中の一夜の話。

村に泊まって2日目はちょっと複雑な夜だった。
ホームステイ先の家族が持つ小さなカシューナッツ畑が、近隣からの飛び火で大きな被害を受けた。

あと2,3日で収穫できる、しかも3年目を迎えるカシューの木たちは今年が初めての本格的な収穫、というタイミングでの出来事だった。

夕方に村の方からの一報で、家にいた長女とお父さんがバイクで飛び出して行き、お母さんはそのあと一人で夕食の支度など日々の仕事を一人で担っていた。私たちは、お母さんが牛を迎えに行くためにちょっと家を離れる間、孫たち4人とともにお留守番をしていた。

19時頃になって続々とみんなが戻ってきた。
仕事から帰っていた長男とお婿さん、お母さんがお父さんと長女を囲む。
状況がわかって家族はさらに落胆した。収穫目前のカシューの木たちはそのほとんどが火に呑まれていた。育ててきた3年の歳月と今年の収穫への期待が、家族全体をダウントーンにしていた。

陽が暮れ落ちた高床式の下に集うみんなのシルエットがいつもより小さく見える。何も言えない沈黙の合間に、

「こういう時は、ごはんを食べようよ、みんなで」
控えめに、お母さんが言った。

それでもまだ誰も腰をあげられない家族にお父さんがもう一度
「さあ、水浴びをして、ごはんを食べよう!」
と声をかけ、夕食の準備や水浴びのためにみんなが静かに動き出した。

この日の夜は私たち以外にも来客があった。
まだ若いカンボジア人の大学生のグループで、彼らは先に夕食を取り、すでに少しビールも回っていた。早めに食事を切り上げた彼らは、すでに暗くなった庭で焚き火を始めた。

水浴びを終えたお父さんが、夕食の席にビールを持って明るく現れた。冷たいビールを、それぞれの前に1缶ずつ置いていく。お父さんは普段、お酒は呑まない。そして、自分から勧めることは滅多にない。
誰も何も言わないけれど、その意図は伝わって、みんな黙って缶を開けた。

乾杯をしてしずしずと食事が始まった家族のテーブルの向こうで、若者たちは火を囲み、携帯からの流行りのクメールミュージックに合わせて楽しそうに踊っていた。

言ってはいけないと思いつつ、知らない彼らに責任がないことはわかりつつ、つい口をついて言ってしまった。

「今日、この家は火で苦しんだ。今この庭で、火を囲んで楽しんでいる人がいることに、なんだか複雑な気持ちになる」と。

そうしたら、お父さんがすかさず言った。
穏やかだけど、きっぱりと。

「そんなことはない。マイ、それは違う。さっき自分たちに起きたことと、今ここで起こっていることは関係ないよ。そういう風に考えていると、足が止まってしまう。起きたことは変えられない。だから前を見て、これからのことを考えるんだ。」

ハッとした。
ああ、この人たちの強さはここにある、と。

そして、目の前の何も知らない人たちにこちらの苦しさを勝手にかぶせて、悲しみの中に少しだけとどまって楽になろうとしたのは、私の弱さだ。

落胆の淵のただ中でも、即座に、こうやってはっきり言えるお父さんたちの持つ強さに、熱いものがこみ上げてきて、遠くに見える若者たちの炎が滲んだ。


そのあとは小一時間、みんなで笑って話をした。その間に、若者たちはまだ早い時間に火の始末をきちんとして、爽やかにおやすみなさいと高床の上へ上がっていった。
私たちもおだやかな気持ちでおやすみを言って見送った。

1缶でちょうどいいんだという、ビールがちょっとまわったお父さんはいつもよりたくさん話した。
プルタブの裏にある当たりくじで、お婿さんがムイ・コンポンを当てた。
1缶当たり、だ。

「このくじさ、最高100万円なんだよね。もし100万当たったら何に使う?」とお婿さん。

「んー、土地を買って、みんなでなんかできるスペースをつくる!・・100万円じゃ足りないか!」と私。

「昔からカンボジアにあって、今ほとんどなくなった種類の木の苗を買って、村の中にいっぱい植える。古い農機具も買い取って残しておきたい。」とお父さん。

「でも、当たんないんだよね〜」とお婿さんが言って、みんなで笑った。

この人たちと出会えて、本当によかった。
ほんのちょっとのお酒と、他愛もない話題と、それに混ぜ込んだ夢の話しで、夕方の緊張がゆるんで、高床の下の空間におだやかさが戻ってきた。

これまでも、お父さんとの間で何度もこういうハッとする瞬間が訪れた。
その瞬間を重ねるごとに、自分が何を大切にしたいと思っているのか、今誰の、なんのためにそれをするのかを問い直される気がする。

私が、途中で焚き火を囲む学生に不用意にぶつけかけた憤りは、本当は実体がなかった。いっときの苦しさを軽減するための攻撃。

しかも“お父さんたちのために憤る”みたいな謎の正義感を振りかざして、苦しさを誰かにぶつける弱い自分を正当化しようとした。

お父さんたちはもっと強くて、真っ当に、もうそれをうけとめているというのに。

女子中学生が友達の告白を断った男子に向かって「◯◯ちゃんがかわいそうだと思わないの?!」と詰め寄る幼さと変わらない。

このとき以来、突如沸く感情が、いったいどこから生まれてきて、どこに向けられているかに、少しだけ注意を払うようになった。

まだまだ修行の途中。
でも、あのときのお父さんが持っていた空気は今も細胞のなかに、ちゃんと残っている。

2023.06.21



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