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【新城拓也先生】ターミナル・セデーション (終末期鎮静)という選択肢

関口祐加監督によるドキュメンタリー映画シリーズ『毎日がアルツハイマー』(略して『毎アル』)の公式noteにようこそ。

このnoteでは、シリーズ最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』の公開まで、映画のテーマである「死」についての記事を定期的に更新していきます。

今回は、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」院長の新城拓也医師に、緩和ケアと在宅での最期についてお話しを伺いました。

ー 今回の映画では「緩和ケア」が取り上げられていますが、そもそも緩和ケアとは、いったいどのようなことをさすのでしょうか。

一言で言えば「痛みを取ること」です。ただ「痛み」といっても、体の痛みだけが痛みではありません。気が滅入って何もする気になれないは心の痛みですし、病気になったあとの仕事をどうするかや、お金がないこと、家族との関係が変わってしまうことへの悩みなども、すべて痛み。とても多面的なものです。
私たち医療者は、初めは体の痛みを取るところから入りますが、体の痛みが緩和されると、別の痛みが会話に出てくるようになります。「実はね、治療費が高額で」とか、「実はね、料理ができなくなって」とか。

— それらは体の痛みと違って、解決のつかない問題では?

そうでもありません。たとえば収入の問題ならば、傷病手当金を申請すればお金が出ることや、障害者手帳を受ければ治療費が安くなることなどを提案する。そして、診断書など必要な書類を用意して、役場の窓口へ行くように伝えます。料理ができないなら、介護保険でホームヘルパーを頼む。使える制度を紹介して、人・物・お金の手配をすることで、解決できる「痛み」があります。
なぜそこまでするかと言えば、「病気が治らなくとも、苦痛を最小限にする」というのが、緩和ケアの基本的な考え方だからです。

緩和ケアが必要なのは、がんだけではない

— 緩和ケアというと、がん末期というイメージですが、ほかの病気に対しては?

日本で緩和ケアが普及し始めたのは2000年頃からですが、ほぼがん患者のみを対象としていました。そのため、「緩和ケア=末期がん患者」というイメージが定着してしまいました。本来の緩和ケアは、がん患者だけではなく、もっと多くの患者が受けられるべきです。
また、ここ数年は緩和ケアの対象を、認知症、心不全、透析が必要な腎不全、慢性閉塞性肺疾患などの患者にも広げようという動きが出てきました。これは日本だけでなく、世界的な動きです。

— これまでは緩和ケアチームが診療した場合に報酬が加算されるのは、がんとエイズだけでしたが、末期心不全が加わりましたね。

国から治療費が保証され、関心を持つ医療者が増えて、これから緩和ケアが広がる動きが加速すると思います。
ところでエイズは、今はいい薬ができたために、緩和ケアが必要となる人はかなり少なくなりました。その代わり認知症の人が増えるなど、緩和ケアの必要な病気も時代とともに変化します。
時代とともに変わるのは、私たち医療者も同様です。緩和ケアという言葉がなかった時代には、それを志すこともできなかったのが、言葉ができたことで同じ志を持った人たちが集まり、相互に交流できるようになりました。
これからは、緩和ケアの専門医だけでなく、さまざまな領域の医師が緩和ケアの技術を身につけて、それを実際に患者のために、現場で活かす時代だと思っています。ごく少数の専門医だけが緩和ケアを行うよりも、多くの医師が緩和ケアマインドを持って診療に当たる方が、患者の利益は大きいですからね。

薬・コミュニケーション・家族のケアが3本柱

—認知症の人の緩和ケアはがんなどとは異なるのでしょうか。

基本的にはどの病気の緩和ケアも、「薬・コミュニケーション・家族のケア」の3本柱です。3本柱それぞれの内容が、病気の種類や環境など、その人の状態によって異なります。
薬でいえば、認知症はがんのような強い痛みがありませんから、医療用麻薬は必要ありません。その代わり、コミュニケーションにはほかの病気とは違う技術が必要で、現状では「ユマニチュード」を参考にしています。
ユマニチュードはフランスで生まれた高齢者、認知症の方々を対象としたケア技術で、相手の目を見つめながら話すとか、「今から右肩を触ります」などと自分がすることを言語化しながら触れるとか、さまざまな技法があります。単に優しく接すればいいのではなく、認知症の人には認知症の人に合ったコミュニケーションの方法を身につけて接することが大事です。

— 家族のケアとは、ショートステイを利用して、家族を休ませたりすることでしょうか。

それも含みますが、それだけではありません。在宅でケアしているのであれば、家の中を見てベッドからトイレまでの動線をチェックしたり、「オムツ替える時はどうしてるの?」と聞いたりして、その家族なりのケア方法を知る。その上で、困っていることがあれば聞いて、ほかの家族がどうしているかを伝えたり、一緒に解決法を考えたりする。医療者として家族のケアをサポートしていくのです。
するとその過程で、ケアに対する家族の考え方が変わっていくことを実感します。ケアを工夫することで、家族自身の意欲がわいて、気持ちがポジティブになることがあるのです。本当の意味での家族ケアとは、このように気持ちが切り替わって楽になるとともに、家族の力を高めるものではないでしょうか。

認知症の人にも、最期の希望を聞いておく

— 本人の意思が確認できなくなる前に、延命治療の有無や救急車を呼ぶかどうかなどを、聞いておくのでしょうか。

こちらが聞くというよりも、信頼関係ができると自分から話す人が多いですね。「先生、延命治療だけはやめといてや」とか。ただ、必ず患者が言ったとおりに行動するかどうかは、また別です。もちろん本人の意思は尊重しますが、その時その時で医師としてどうすることが最善なのか考えます
たとえば、「もう十分生きたから、いつ死んでもいい。延命治療はやめてほしい」と言っていた90歳過ぎの女性は、がんができた途端、そのようなことを一切言わなくなり「少しでも長く生きたい」と話すようになりました。また、「家で死ぬ。病院には絶対に行かない」と言っていた女性を、救急搬送したこともあります。意識不明で倒れて失禁している姿を見て、家族が動揺したために、「ご本人は絶対に病院には行かないと言っていましたが、この状態を放っておくわけにいきませんね。救急車を呼びましょう」と、私から家族に言ったのです。
逆に、危篤状態となった患者の家族が「もう在宅は無理、これ以上看病できません」と言ったとき、私が「あれほど家で死にたいって言っていたんだから、あと数日なんだから、覚悟を決めようよ」と言ったこともあります。どんな状況であっても、医師である私が積極的に患者や家族と一緒に話し合い、一緒に決めていくことで、考慮するべきさまざまな要素の中でも特に家族の自責感が少なくなる方法を探し、そこに着地できるようにしています。

— 認知症の人にも、希望を聞いておいた方がいいのでしょうか。

はい。たとえ自分の状態を正しく判断できていないとしても、聞いておく。その上で、それが現実になったとき、本人の言葉を家族みんなで振り返って、今どうするかを考える。本人の意見なしに本人のことを決めないことが大事だと思います。

緩和ケアの最後に起こること

— 緩和ケアの最終段階には、どのようなことが待ち受けているのでしょうか

死に至る過程は、基本的にみんな同じです。まず最初に、動けなくなる。この段階では、自分でトイレに行けなくなったり、歩くと転んでしまったりします。次に、食べなくなる。食べるとむせてしまったり、食欲がなくなったり。もう体が栄養を欲さない。そして、起きなくなる。だんだん眠る時間が長くなって、目を覚まさなくなる。
この3段階の長さが病気によって異なります。がんの場合は、動けなくなってから亡くなるまでが非常に短く、およそ2週間。それに対して認知症の場合は長く、数年という場合もあります。

— その過程では、どのような医療を行うのでしょうか。

よく問題になるのが、患者が食べられなくなったときにどうするかです。ただ単に、食べないなら点滴をしよう、胃ろうを作ろう、というだけでは、治療とはいえません。治療をしても、患者が再び回復することはほとんどないからです。
大切なことは、本人だけでなく、家族の気持ちを考える事です。家族が「もうここまで十分に生きました」と言ったら、「そうだね。不自然なことはやめて、このまま看取ろうね」と言います。ところが、「昨日まであんなに食べていたのに、急に食べなくなって、どうしたらいいんでしょう」と言ったら、「じゃあ、しばらく点滴してみようか」と答えることもあります。効かない点滴をなぜするのかというと、治療によって家族の「何もすることができなかった」という自責感をケアできることもあるからなのです。

— 本人の病状だけでなく、家族の気持ちも大事だということですね。

緩和ケアには本人と家族、二つの要素があって、本人にかける時間と家族にかける時間が、亡くなるプロセスが進むにしたがって逆転していきます。最初は本人との対話に十分時間をかけます。本人の状態が悪くなり、だんだん本人と話ができなくなっていくに連れて、その分、家族にかける時間が増えていきます。
また、家族は「もう楽にしてあげたい」「まだ別れたくない」という二つのアンビバレントな気持ちを同時に持ちます。そのどちらが大きいかによっても、治療の内容は違ってくるのです。

ターミナル・セデーションとは

— 映画には、最終段階の医療として「ターミナル・セデーション」が出てきます。

セデーション(鎮静)とは、苦痛を和らげるために、薬で意識を低下させることです。よく知られたセデーションは、胃カメラや大腸カメラ、痛みを伴う治療などをするとき、睡眠薬の点滴をして一次的に苦痛を避ける方法です。ターミナル・セデーション(終末期鎮静)は、終末期の患者の苦痛を緩和するために、ほぼ同じ薬と方法で行います。ほとんどの場合患者が亡くなるまで続けます。

— どんな病気でもターミナル・セデーションを受けられるのでしょうか。

実質的にターミナル・セデーションの対象となるのは、がん末期の患者だけです。その理由としては、医療用麻薬などの鎮痛剤ではどうしても痛みの取れない患者がいること、そして、亡くなる時期が比較的明確にわかるのが、がん患者だけだからです。ターミナル・セデーションは余命1週間未満のがん患者を対象とするべきであり、平均的にはターミナル・セデーションを始めてから、3日間ぐらいで亡くなります。
 ただ、ターミナル・セデーションを始めてから「中止してほしい」という家族もいます。

— なぜでしょう?

患者本人に「これ以上耐えられない、眠らせて楽にしてください」とはっきり言われてから始めることよりも、患者が苦しむ姿を見ていられなくて、周りの家族がターミナル・セデーションを決断するケースの方が多いためです。実際にターミナル・セデーションが始まり、患者が眠り苦痛が緩和されると、家族は「もしかしたら自分たちのせいで命を縮めてしまうのではないか」と、自責の念に駆られるのです
ターミナル・セデーションを中止した後に、患者の意識が戻って再び苦しみ出すこともあります。その時は、私から「やはり、苦しさから本人を助け出すにはこの方法しかない」とはっきり家族に伝え、また治療を再開しています。

— 患者本人には、ターミナル・セデーションという選択肢があることを告げるのでしょうか。

「死ぬ前に耐えられないほどの苦痛がある時には、ターミナル・セデーションという方法がある」と具体的に説明すると、「あなたは間もなく死ぬ」と言っていることと同じで、説明による害の方が大きいことがあります。だから私は、「苦しくて、もうこれ以上頑張れないときは教えて下さいね。なんとか助けるから」と、言うようにしています。
本当は、皆さんには、ターミナル・セデーションという選択肢があることを知っていただきたいと思っています。
 医師になりたての頃、私はがんで苦しみ抜いて死ぬ人をたくさん見ました。たくさん見過ぎて、がんの人を診たくないと思ったほどです。家族も、あまりにもひどく苦しむ姿を見て、つらい記憶をずっと引きずってしまう人が大勢いました。でも、ターミナル・セデーションを知って、それを安全に実行できるようになってからは、最期の苦しみも治療できるようになりました。
「もうこれ以上耐えられない苦痛」が現実にあり、今の医療では全ての苦痛が緩和できない以上、治療の選択肢としてのターミナル・セデーションはとても大切だと思っているのです。

— 映画では安楽死や自死幇助も取り上げられていましたが、それらをどう思われますか?

 ターミナル・セデーションは、「安楽死と同じことじゃないか」と言われることがあります。「ゆっくりした安楽死」と言われることもあります。しかし私は、患者の苦痛を緩和するためであっても、緩和ケアに安楽死を含めてはいけないと思っています。その前に、今よりももっと多くの患者が、日本で普通に緩和ケアを受けられるようになるべきだからです。
ただ、安楽死や自死幇助を望む人達の考えを否定するつもりはありません。安楽死したいほど苦しいと思う患者、安楽死させてあげたいと苦しむ家族の気持ちは理解できるからです。けれども、そのような人たちには、まず緩和ケアが必要です。そして、ターミナル・セデーションは緩和ケアの治療の一つです。ですから、まずは緩和ケアの普及が必要なのです。
いつも怖いと思うのは、医療は一つの思想(イデオロギー)に固まると歯止めが掛からなくなることです。
精神病患者の虐殺、優生思想による断種手術、人体実験など、過去の歴史がそれを物語っています。ですからターミナル・セデーションを含めて今の時代に「当たり前だ」と思う治療も、絶対に正しいとは考えない方が良いのです。それは私たち医療者だけでなく、患者や家族も同様です。「時代が変われば、また違う考え方も出てくる」という、柔軟な考えでいた方がいいのではないでしょうか。安楽死やターミナル・セデーションに対する考えも、まだまだこれから変わっていくと思います。

次回の更新では、昨年ガンであることを公表された写真家の幡野広志さんにお話を伺います。そちらもお楽しみに!

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』
7/14(土)〜ポレポレ東中野シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開
>>>6/23(土)13:30〜全国一斉特別先行上映会 開催!<<<
>>>再上映決定!<<<
『毎日がアルツハイマー』
『毎日がアルツハイマー2 関口監督、イギリスへ行く編。』

6/30(土)〜ポレポレ東中野
7/1(日)〜シネマ・チュプキ・タバタ
ヒューゴ・デ・ウァール博士(『毎アル2』出演)来日 記念イベント
〜「認知症の人を尊重するケア」その本質とは?〜

【日時】7月24日(火)19:00〜 (開場 18:40)
【会場】日比谷図書文化館・コンベンションホール


映画監督である娘・関口祐加が認知症の母との暮らしを赤裸々に綴った『毎アル』シリーズの公式アカウント。最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』2018年7月14日(土)より、ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開!