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【齋藤正彦先生、関口祐加監督②】生き方と死に方はセット。だからこそ手を抜かず、その人の「生」に一所懸命関心を持つ。

関口祐加監督によるドキュメンタリー映画シリーズ『毎日がアルツハイマー』(略して『毎アル』)の公式noteにようこそ。

このnoteでは、シリーズ最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』の公開に合わせ、映画のテーマである「死」についての記事を定期的に更新してきました。映画は7/14(土)からポレポレ東中野シネマ・チュプキ・タバタにていよいよ公開を迎えます。今回が映画公開前、最後の更新です。

前回に引き続き、映画の製作中から応援してくださっている東京都立松沢病院院長齋藤正彦先生に関口祐加監督がお話を伺いました。

きれいに生きてきれいに死のうと思うから難しくなる

関口 「託老所あんき」(愛媛県のデイサービス)経営者の中矢暁美さんは、なるべくお年寄りを管理しない介護を実践しています。床でうたた寝したかったら、それでオッケー。食事も、栄養士が考えたメニューじゃなくて家庭で食べるようなものを出す。この映画にも出てきますが、お年寄りたちは非常にリラックスしていて、のびのび過ごしています。ところが行政指導がすごいんですって。行政と闘わないとお年寄りに沿ったケアも、死なせ方も難しいって、中矢さんははっきり言っていました。

齋藤 それを聞いて思いだした。1986年に「元気な亀さん」(埼玉県)っていう民間福祉施設を作った瀧本夫妻がいるの。田舎の民宿みたいな雰囲気で、認知症のおじいさんとおばあさん、学校に行けない子どもたち、あとイヌとネコとニワトリとっていう感じで、みんな一緒に過ごす場です。本当に困った人を引き受けているの。今でも制度に加わらず、、ずっと開所以来、税金の補助を受けていません。税金をもらえば役人がおまけで付いてきて面倒だと。「施設じゃなくて、みんなで住んでいるだけです」ってポリシーでやっているんですよ。

ここで僕、本当に心を打たれる体験をしました。都立松沢病院で診ていたあるアルツハイマーの患者さんは、旦那さんに先立たれて子どもはみんな独立して一人ぼっちでした。病院にいる間は、ずっと汚れた人形を抱っこしていて、絶対に離さなかった。「私の赤ちゃんだ」って言ってね。で、僕が元気な亀さんを紹介して入ってもらったんです。
それから2~3年して、元気な亀さんの映画ができたので呼ばれて見に行ったら、そのおばあさんが本物の赤ちゃんを抱いて、一所懸命あやしてるんです。

関口 本物の赤ちゃんを?

齋藤 そう。施設の保育室を利用していた赤ちゃんだったんだけど、病院で抱えていた人形を使ってあやしていたんです。僕は、進行したアルツハイマーだから赤ちゃんと人形の区別がつかないんだと思っていたけれど、ちゃんとした暮らしをすれば変わることがあるんだって、気づかされました。その人は、松沢病院を出る時は1人で歩くのも困難だったのに、片手で赤ちゃんを抱いてたんだよ。

元気な亀さんは、初めは「変な人を連れて来る」とか言われて地域からつまはじきにされていました。だけど、利用者のお年寄りたちが近所の農道の掃除を始めて、少しずつ地域に馴染んでいった。何年かしたら、瀧本夫妻は空家となった農家を借り受けて、改装して「陽気な鶴さん」っていう全開放の認知症と障害のある人のためのグループホーム(現在は「元気な亀さん(別邸)」)を作りました。瀧本さんに「全開放で、夜、お年寄りがいなくなっちゃったりしないの?」って言ったら、「寒いんだからみんなすぐ布団に潜りますよ」って。

関口 (笑)。愛媛のあんきとまったく同じですね。あんきでも、認知症の人も認知症でない人もみんな一緒にわいわいがやがや過ごして、外に出たい人がいれば認知症でない人が「ちょっと一緒に散歩に行ってくるよ」みたいなノリでうまく回っています。行政はこういうことをなかなかわかってくれないですよね。

齋藤 そうね。なんかさ、きれいに生きてきれいに死のうと思うから難しくなると思うんです。僕らは、そういう世界を目指してきたけど、もう一度「人間らしい」ってどういうことかを考えてみないといけない。変に手を入れてそれができなくなるから難しくなるんであって、初めからゆるければ、ね。

関口 私もそれはすごく思いますね。
最近、知り合いから聞いた話ですが、認知症で寝たきりの106歳のおばあちゃんを、家族の1人の看護師さんが10年間も介護をしている家があります。その看護師さんはもう頑張って、頑張って、頑張って介護をしているんだけれど、おばあちゃんはもう何年も笑っていない。家の雰囲気は真っ暗で、家族げんかが絶えない。おばあちゃんからしたら、なかなか死なせてもらえない、みたいな感じかもしれませんよね。

齋藤 うん、死なせてもらえないね。

関口 その看護師さんのように家族が介護を生きがいにしちゃうと、「終わりなき介護」みたいに言われちゃって、介護される側はつらくなっちゃうと思うんです。でも、本当は“一寸先は闇”なんですよね。うちの母は脳の虚血性発作で突然倒れましたが、その時、終わりなき介護っていうのはうそだと思いました。ですから、今回の映画では、<終わりのない介護から、終わりからの介護へ>という提案をしようと思っていますが、その人の最期を意識しながら介護をするということが、私は非常に納得がいく。だから、うちは基本的にガチガチな管理はせず、自由に、母のペースにあわせています。

齋藤 関口さんのお母さんは、映画でも「死ぬのを忘れた」とか言っていてさ、自由でいいよね。うちの母なんて、最後まで堅苦しかったもんな。
きっと僕も不自由なんだよね。精神科医って人の自殺のじゃまをするじゃないですか。特に統合失調症の人の自殺を、僕は若いときに平気でじゃましていた。けれど、「僕に自殺を止められた患者さんは、幸せになったんだろうか」ってこの頃思うんです。僕が自殺を止めたおかげで、一生、入院しなければならなくなった人だっているんだから。そう思ったら、仮に自分がアルツハイマーになって苦しいとか、老いさらばえて嫌だとか思っても、「簡単に死ぬんじゃないよ」って患者さんに言われそうな気がする。

関口 先生がすてきで大好きなのはここなんですよね!(笑)

齋藤 僕はね、基本的に自分の死を自分でコントロールしようとは思わないの。命は僕のものではないと思うから。もしも命や体が僕のもので、死ぬのは自由だよって言うなら、若い人がリストカットするのはなぜいけないのって、話になるでしょう。売春しようとなにしようと私の体なんだから関係ないじゃん、ってことになる。だから僕は、命や体は僕のものであって僕のものでないような気がしています。自分が苦しいからって命をおしまいにしようとは思わない。いや、思うまい。

関口 思うまい。

齋藤 そう、思うまい。でも僕、痛みにものすごく弱いの。

関口 あはは。

齋藤 本当に痛い時は、たくさん麻酔を使って眠らせろとか言うんじゃないかなって。

関口 それは私もお願いしたい。そこはね。
スイスで自殺幇助クリニックを運営しているエリカ先生も、齋藤先生と似た思いを抱えていました。エリカ先生が医師になったばかりの頃、仕事を終えて帰ろうとしていたら、ネグリジェ姿で森のほうに歩いていくおばあさんを見かけたそうです。声を掛けると「あの森の先に主人が待ってるんです」と言う。でも、森の先はなにもない。近くに高齢者施設があったので、ここの入居者かなと思って連れ帰ったら、施設の人は「ああ、そうですか」みたいな感じで、おばあさんがいなくなったことも知らなかった。エリカ先生は何十年たってもそのことを鮮明に覚えていて、「今の私だったら行かせてあげたんじゃないか」と思っていると教えてくれました。

自死幇助をする医師も苦悩している

齋藤 エリカ先生の話で僕が大変興味深かったのは、自殺幇助をしたくてクリニックに来た人のうち、本当にそうする人は非常に少ないという話です。僕が40代だった頃に、オランダのシンポジウムに出たことを思い出しました。僕は安楽死の是非について語るシンポジウムかと思って行ったら、「いい安楽死、悪い安楽死」についてだった。壇上のシンポジストたちは、どうやって人を殺すかとか、どのタイミングで薬を渡すとか話している。もう本当、生理的に吐き気がしてね。

でも、フロアにいたオランダ人の医師と話したら、少しホッとしました。その医師は1例だけ自殺幇助をしたことがあるけれど、それは患者さんに頼まれてから30年後だったそうです。その患者さんが60代の頃に、「もし私がアルツハイマーになって、1人で暮らせなくなったら死ねる薬を処方してほしい」と言われていたそうです。30年後、患者さんは施設に入って2度も3度も脳梗塞を起こして寝たきりになった。それでも目を開けて手を差し出すから薬をあげた。

まだオランダの安楽死法ができる前のことで、その医師は告発されました。結局、無罪になったけれど、その話をしながら泣くんだよね。ちょっと安心したんです。患者さんに「これを飲めば死ねますよ」というのは、そんな気楽なものじゃないっていうのがわかりました。でも、エリカ先生は、すごくクールじゃない?

関口 クールというか、エリカ先生にはお父さまを看取った経験があるんです。お父さまは脳梗塞を繰り返していて、何度も服薬自殺を図っていた。それでエリカ先生は、必要に迫られてお父さまを通して自死幇助を初体験することになったんですね。最後は、エリカ先生がお父さまを抱きしめて、お父さまは「ありがとう」と言って息を引き取ったそうです。もしそうしなかったら、電車に飛び込んでいたかもしれないと、エリカ先生は振り返っていました。それで自死幇助クリニックを作ったわけです。ただ、エリカ先生が診ている在宅介護の患者さんの9割は自死幇助ではなく、緩和ケアを選ぶそうです。

齋藤 きっと、それなりの支援をしているんだよね。そうじゃないと、みんな自死幇助のほうがいいなってなるもんね。

関口 そうですね。だから、オプション(選択肢)があることの大切さですよね。ヒューゴ先生(イギリス国立認知症ケア・アカデミー施設長)は、「安楽死という選択肢を持つことで、初めて『しないという選択』ができる」とおっしゃっていました。

齋藤 そういうオプションがあることは、患者さんや社会にとっては大事なことだよね。でも医師にとっては難しいと思いますよ。せめて自分で言ってくれればいいけど、「うちの母がこんなに苦しんでいるのを見ていられません」なんて頼まれたらさ。苦しんでいるのはあなたじゃないんだからって。
いずれにしても、人の死は簡単なルールを1つ作ってスパッと割り切れるものじゃないと思うんです。ルールがきちんとしていたほうが医師の仕事はしやすいけれど、しやすくしちゃダメだ。やっぱりみんなで悩んでいかないと。

関口 日本人はルールを決めるとみんな従うじゃないですか。複雑に考えることをせず、「もうこれがルールだから」みたいになっちゃうような気がします。

齋藤 がんの終末期ならまだいいですよ。自分の予後がだいたいわかるからね。だけど、アルツハイマーの人は5年後、10年後に自分がどうなっているかわからないし、家族の状況だって変わるかもしれない。終末期の迎え方は元気なうちに決めましょうとか言うけれど、いざという時に「20年前にあなたの言っていたことが正しいから、今のあなたにはそれを覆す権利がない」となった日にはかなわない。だって、今、関口さんのお母さんの意思を無視するなんてできないでしょう。

関口 確かにできないですね。

齋藤 ね。アルツハイマーがひどくなったって、少なくとも痛いのは嫌だとか、あなたには近寄られたくないとか、そういう意思表示はできるわけですから。それができている間に、死に方をほかの人が決めていいのか。

関口 認知症になっても心は生きている。

齋藤 そう。だから手を抜くなっていう話ですよ。家族でも医師でも、介護スタッフでもいいから、その人の「生」に一所懸命関心を持ってあげないと。生き方と死に方はセットなんだから。

関口 日頃からのパーソン・センタード・ケアが大事なわけですが。

齋藤 そうそう。だけど、そこが難しいんですよね。

関口 そりゃあ、難しいですよ、と強調したいです(笑)。日本の介護はいいと言っても、介護する側の「かわいそうだからお世話したい」という思いがあふれる「お世話型ケア」が多いですから。でも、こういうことも含めて、日本ではなかなかオープンに語られない風潮があります。親の死をどう迎えるか、自分の老いや死をいかに受け止めるか。今回の映画を土台に、そういう話がオープンに出来るきっかけになるといいなと思っています。

(取材・構成:越膳綾子)

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』はいよいよ7/14(土)からスタートします。ポレポレ東中野では連日トークイベントを開催し、こちらの連載で語ってきた「死」というテーマを劇場という場で、ゲストと観客の皆さんを交えて引き続き続き語っていきたいと思います。ぜひ、みなさま劇場にお越しください!

※次回の更新は未定です。
この間、連載をお読みくださりありがとうございました!


『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』
7/14(土)〜ポレポレ東中野シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開
>>>「最期の時」を考えるトークイベントを連日開催<<<
※7/15(日)には齋藤正彦先生と関口祐加監督がご登壇!
ヒューゴ・デ・ウァール博士(『毎アル2』出演)来日 記念イベント
〜「認知症の人を尊重するケア」その本質とは?〜

【日時】7月24日(火)19:00〜 (開場 18:40)
【会場】日比谷図書文化館・コンベンションホール
※前売り券の発売は7/20(金)正午まで!


映画監督である娘・関口祐加が認知症の母との暮らしを赤裸々に綴った『毎アル』シリーズの公式アカウント。最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』2018年7月14日(土)より、ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開!