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【齋藤正彦先生、関口祐加監督①】悩み、苦しみながら結論を出す。それが人の死に方

関口祐加監督によるドキュメンタリー映画シリーズ『毎日がアルツハイマー』(略して『毎アル』)の公式noteにようこそ。

このnoteでは、シリーズ最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』の公開に合わせ、映画のテーマである「死」についての記事を定期的に更新してきました。映画は今週末7/14(土)からポレポレ東中野シネマ・チュプキ・タバタにていよいよ公開を迎えます。映画公開前の更新は今回を含め、あと2回です。

最後を飾るのは、映画の製作中から応援してくださっている東京都立松沢病院院長齋藤正彦先生です。今回は関口祐加監督が齋藤先生にお話を伺いました。

関口:先生、「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」をご覧になっていかがでしたか?

齋藤: 認知症は親世代の話のようにずっと感じていましたが、僕ら世代の問題なんだなって気づきました。医療や介護の発達で、簡単に死ねない時代になりましたよね。でも、誰も年をとることについてのフィロソフィー(哲学)を持っていなかった。長生きしてどうしようか、という備えがないんですよね。僕だってどうやって死のうかな? って思いましたよ。

関口: 認知症の親と一緒に、介護する側も老いていく。そのことは、今作で特に伝えたかったことの1つです。私自身、両股関節にチタンを入れる手術をしましたが、骨の老化にともなってチタンが外れやすくなるそうです。主治医は、「75歳ぐらいでもう一度手術が必要」と言っていました。でも、私の知人はまさに75歳で同じ手術を受けて、麻酔の失敗かなにかで亡くなってしまった。本人は亡くなるつもりなんてなかったのに、そういうことも起こり得るんですよね。なんというか、自分の老いや死に立ち向かうことの難しさを感じています。命に対する葛藤というか。
そういうことを考えていると、齋藤先生がお母さまを看取られた話を思い出すんです。先生は「自分で親の死の責任を背負った」という気持ちでしたか?

齋藤: どうだったのかな。母は有料老人ホームに入っていたけれど、亡くなる1週間くらい前に、当時院長をしていた翠会和光病院(埼玉県)に移したんだ。だいぶ弱っていて、風邪でもひいたらおしまいの状況だったから、老人ホームのスタッフは「このままでいいんですか? お医者さんを呼ばなくていいんですか?」って。僕は医者なんだからと言いたかったけれど(笑)、老人ホームでは徐々に衰えていく人になにもしないことができないわけです
それで和光病院に連れて行って、そこの職員には「申し訳ないけれど、なにもやらないからね」って言いました。みんな、認知症の人に最期まで医療的処置をする以外の道を模索していたので、納得してくれた。
だけど、僕自身の死期が近づいて意識を失った場合はどうなるんだろう。妻も年老いているだろうし、子どもはいない。きっと、周囲の人は治療するんじゃないかな。

関口: その時には自分で「なにもしないで」と言えませんものね。でも、事前に意思を書き留めていてもダメでしょうか?

齋藤: 終末期の医療についてあらかじめ文書にしておく「アドバンス・ディレクティブ」とか、成年後見人の医療代諾権とか、色々な話がありますが、僕は賛成しないんです。こういうのは、お年寄りの医療をどこかでスパっと切ることに行政が責任を持たなくてもいいという“免罪符”になるから。
実際に患者さんを診ていると、アルツハイマーがある程度進行したり、体の病気になったりした時に「僕はもう死にますから治療しないでください」とは言いませんよ。

関口: 言わない…。

齋藤: むしろ、一所懸命に生きようとする。元気な頃に「自分で食べられなくなったら、それ以上生きていなくてもいいです。なぜなら人間の尊厳が……」とか言っていた人だって、盗食をすることがあるのです。肺炎のリスクがあるからやめて欲しいと言ったって食べる。やっぱり、生物としての命に対する執着があるのでしょう。
そうした時に「あなたは、延命処置はしないと事前に書いていたじゃないですか」という話が通用するとしたら、その判断をした自分が今の自分より偉いことになるでしょう。じゃあ、出産時の事故で障害を負った子どもは、障害がなかった場合にするだろう判断、つまり世の常識みたいなものに従わなければならないことになる。
僕は、「自分の死に方は書面に残して簡単に片付けよう」みたいな風潮は間違いだと思います。みんなで悩み、苦しみながら結論を出す。それが人の死に方ですよ。

関口: 先生のお母さまの時はどうでしたか?

齋藤: 母はだんだん食べられなくなって、起きていられなくなって、看護師から「酸素濃度が下がってきています」って言われたけど、酸素マスクもつけませんでした。酸素をつけると目が覚めて、息苦しいっていうこともわかっちゃうんだよね。

関口: なるほど、逆にね。

齋藤: だけど、母の場合は苦しそうな顔もしないで、すーっと意識レベルが下がっていったので、酸素マスクはしなかったし、点滴もしなかった。

関口: 本当になにもやらなかったんですね。

齋藤: そう。だけど僕には悔いが残っていて「本当にこれで良かったんだろうか?」って悩みましたよ。母が亡くなってから遺言書が出てきて、「もうこれ以上、痛いことはしてくれるな」って書いてあったから救われましたが、それがなければもっと後悔していたかもしれません。

家族に後悔が残るのは当然

関口: 私もいつかは母の最期をどうするか決めなければなりません。これはすごく大変だなと思うんです。
今年2月に伯母が92歳で亡くなったのですが、ずっと介護をしていた長男はやはり大変でした。ある日、彼が2階で寝ようとしていたら伯母の部屋から大きな物音がした。普段なら様子を見に行くのだけれど、もう深夜0時に近かったこともあって行かなかったそうです。そうしたら、朝になって伯母が亡くなっているのが見つかって。
伯母は、枕元にあったリンドウの花を手に取ったようで、花瓶が倒れていたそうです。リンドウの花を見ながら死んでいたという。とてもポエティックですが、警察が入ってしつこく取り調べされたんです。お母さんの年金はどうですか、あなたの給料はどのぐらいですかって。

齋藤: ああ、年金を搾取しているんじゃないかと疑われるわけね。

関口: そうです。で、彼にもやっぱり悔いが残った。「どうして様子を見に行かなかったんだろう」って。私からしたら、見に行かなかったから伯母は大往生できたと思うのですが、彼はとても後悔していました。伯母は病院で管だらけになるのは嫌だと言っていたそうですから、家で死ねたのはよかったんじゃないか、って残された親族で話しましたけれど、介護をしていた人には後悔が残るんですよね。

齋藤: 僕は、後悔が残って当たり前だと思うの。「見事な最期」とか言えるのは、あまり関係のない親分が割腹したような時のことでさ、自分の親が自殺したら見事もなにもないじゃない。距離感が近いほどそうです。だから、役所が人の死に方にまで線を引こうとするな、と言いたい。

関口: 人によって死に方は様々ですものね。
最近、多死社会と言われる世の中になって、年配の人たちが「自分の死に方」ついて口を開くようになってきたと思います。西部邁さん(評論家)は、自殺という最期を選びました。橋田壽賀子さん(脚本家)は「安楽死をしたい」と言って話題になりましたよね。ことのよしあしは別にして、親ではなくて“自分はどう死ぬんだろう”ということが語られる社会にシフトしてきていると思うんですけど、先生はどうですか。さっき、「どうやって死のう」とおっしゃっていましたけれど。

齋藤: うーん。無為にして化すとかさ。なにもせずにぼけっとしたまま死ぬ。

関口: それは誰かの助けがあればできますよね。

齋藤: 無為にして化すためには、誰かに守られて静かに暮らしていくか、孤独死をするかどっちかだよね。だから死に方ってなかなか選べないんですよ。生き方が選べないように。

関口: 孤独死は社会で悪く言われていますが、本当にそうなんですかね。

齋藤: 悪いもなにも、やむを得ないことじゃないの。

関口: (笑)。

齋藤: 話が変わりますけれど、僕の恩師が、昔はアルツハイマーの診断がものすごく早かったんです。先生は病理学者で、患者さんの脳の状態を考えながら何十年も診療してきたから、ものすごく診断が早いんだよね。ところが最近、あえて診断をしなくなりました。認知症の患者さんや家族には、「人はみんな年を取ればこういうふうになるんだよ」って言うんです。で、半年後とか1年後に再診の約束をするわけだけど、その間は治療らしいことをなにもしない。中にはアルツハイマーが進行する人もいるけれど、そうしたら「いやあ、本物になりましたな」って言うんだって。でも家族は怒るどころか、「アルツハイマーと診断されて数年を過ごすより、幸せに暮らしています」とか言うそうです。

関口: うまいですね。精神療法的なアプローチじゃないですか。

齋藤: そうだし、アルツハイマーって病気は、80~90歳代になったら老化のうちだと。

関口: 私もそう思います。私の骨の老化と同じです。

齋藤: 年を取ると体中が衰えていくものなんだよね。それなのに我々は往生際が悪くて、いつまでも美しく、りりしくいたいなんて思いがちです。だけど、どこかで老いを受け入れないと、死を受け入れられないよね、きっと。

関口: とても素晴らしい言葉が飛び出しました。私もまったくそう思います。

(取材・構成:越膳綾子)

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』の公開まであと3日。公開前の最後の更新となる齋藤先生のお話の後半は公開前日の7/13(金)に更新予定です。どうぞお楽しみに!

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。』
7/14(土)〜ポレポレ東中野シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開
>>>「最期の時」を考えるトークイベントを連日開催<<<
※7/15(日)には齋藤正彦先生と関口祐加監督がご登壇!
ヒューゴ・デ・ウァール博士(『毎アル2』出演)来日 記念イベント
〜「認知症の人を尊重するケア」その本質とは?〜

【日時】7月24日(火)19:00〜 (開場 18:40)
【会場】日比谷図書文化館・コンベンションホール


映画監督である娘・関口祐加が認知症の母との暮らしを赤裸々に綴った『毎アル』シリーズの公式アカウント。最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』2018年7月14日(土)より、ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開!