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恥じらいの含有量

今日は真面目な下ネタです。

性愛というものは人類共通の行為でありながら、その細かい振る舞いについては文化差や個人差があって興味深いですね。

日本のポルノでは「嫌がる女性を無理やり…」という設定が多く見られます。たしかに、女性はベッドの上では否定形もしくは否定的な言葉を発します(とはいえ、実際に他の方々のご様子を観察したことはないので、あくまで伝聞と一般的概念で申しております)。
「いや」「だめ」「うそ」「むり」などなど。本当は「うーん、そこから左に1センチなんだけど」とか「それ、あんまどうってことない」と思っていたとしてもです。

これ、英語になると逆ですよね? ほぼ肯定形です。
Yes, More,  Right there, That feels great, Unbelievable, OMG, Jesus, etc.
"Don't stop."のような否定形でも、意味は肯定です。

イギリスではどうか分かりませんが、アメリカだとそもそもコミュニケーションを直截的にしないと人種や文化的バックグラウンドが違う者同士で齟齬が生じます。
だから勢い、ベッドの中でも直接的にならざるを得ない。
まちがって日本式に
"No, stop! "
"I can't take it anymore"
"Don't..."
などと言い続ければ、相手は「Oh! 申し訳ナカタよ~」とびっくりして行為を中断してしまうかもしれません。

日本で寝屋における否定的言語がまかり通っている背景には、言語と人種がほぼ共通してきた歴史が理由にあると思います。
発された言葉の意味だけでなく、背景にある感情や空気を読み取る能力が日本人にはあるからこそ「イヤよイヤよも好きのうち」的状況が生まれ得たはずです。
性愛の文化が発達していくにつれ、「否定形の言葉の裏にある肯定的な態度をあなたは読み取れるのかしら?」という女性側の問いかけとゲーム性が増してきたのではないでしょうか?
もし女性がマッパになって「カモーン」状態で横たわっていたら、まったくもってツマらんと。恥ずかしがっている、嫌がっている(フリをしている)私をどれだけあなたは変貌させる実力があるのか、という暗黙のゲームが繰り広げられてきたのだと思います。

欧米にも「昼間は淑女で夜は娼婦」的な落差を喜ぶ性愛文化はあります。しかし、日本人はこれを平安時代(あるいはもっと前)から延々と突き進めてこれたわけです。
つまり、「恥じらい」の含有量が高いほど、男性にとってはワクワクするハードルが上がる。
「あの子がこんなことに…」的な状況を達成できた俺、という喜びですね。
女性からすれば「わたくしとしたことが、こんな状態に」的なある種の変身願望の実現。

まあ、何が言いたいかというと、日本で「恥じらい」が重要視されてきたことには理由があるのではないかということです。そして、それは単純に「結果的にそのほうが男女双方にとって楽しいし、より多くの快楽を得られるから」てことじゃないかと。
だって、本能に直結した行為において意味のない文化的振る舞いなんて残るわけがないじゃないですか。人間は楽しいことしかしたがりませんよね。でしょ?

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