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宮本浩次「ロマンスの夜」ライブレポート(その2) 〜乙女心を投げ捨てられた女うたの行方〜

はじめに

本記事は、2023年1月16日に開催された宮本浩次「ロマンスの夜」の有明公演のライブレポートの、その2です。

一応、単体でも読めますが、先にその1を読んでいただけるとより分かりやすいかと思います。


投げ捨てられた乙女心

この記事には、また意味深にも「〜乙女心を投げ捨てられた女うたの行方〜」とタイトルをつけました。

何を意味しているのか、前回と同様に、最初に答えを言ってしまうことにします。

要約せずに書くと、このタイトルはこういうことです。

女性になりきって歌われるはずの"女うた"なのに、
すぐに女性を演じることは放棄され、
いつの間にか男・宮本浩次の素の表現になっていた。
そして乙女心を投げ捨てられた"女うた"は、
ただの"情熱的なラブソング"と化し、
そして、最終的には"女うた"よりも客席を虜にしていた。

…… 今回は、割と分かりやすいので、これだけでも伝わるのではないかと思われます。笑

秒速で投げ捨てられていく乙女心

とは言え、序盤はちゃんと(?)乙女を演じて歌われていたような気がするのですが。
私の感じたところによると、1曲目の「ジョニィへの伝言」から3曲目の「まちぶせ」までは、CDバージョンよりだいぶ自由に歌っているな、という感じはありつつ(まあそんなのはいつものことです)、ちゃんと"女うた"の範疇でした。

ところが、4曲目の「First Love」では、もう怪しくなってくる。

女性になり切って、という雰囲気がだんだんと、どこかに消えていき……。
2番の「明日の今頃には私はきっと泣いてる あなたを想ってるんだろう」のところでは、もはやどう聞いても好きな女のことを想っている男の歌にしか聞こえなかった。

私はもう「これ、完全に男性目線のラブソングじゃん。女うたって何だったんだ?」と、ぽかーんとしていました。

なんていうか、もう、歌っている顔すら男の顔なのよ。
この人、本当に真面目に(女うたを)やる気あるのかな?と思った。

でも、呆れているのは2%くらいで、95%までは純粋に感動してしまうんだから、なんかもう、宮本浩次の歌っていうのは理解不能な破壊力をもっている。
なお、残りの3%は、これ歌詞を無視してるじゃん(その1参照)、ってことを考えてました。

で、もういちいち書きませんけど、これも「First Love」に限った話じゃないですから。もう、全部の曲でこれですから。なんなんだよほんとに。

原曲の世界の大幅改変

さて、その1で、私は「ロマンスの夜」での不思議な出来事について、こう書きました。

セットリストの多くが「色々なかたちで恋人との別れを受け入れていく女性の歌」でしたが、どうしたわけか、その全てが「ぜったいに諦めない一途な純愛の歌」に変貌していました。

話がややこしくなるので、その1では触れませんでしたが、この文章で言いたかったことは、「別れを受け入れること」が「諦めない一途さ」に変わっていた、以外にもう一つあって。

シンプルに、「女性の歌」ではなくなっていた、ということです。

別れの歌でも女の歌でもない何かを、別れの女うたに乗せて歌っていた宮本浩次。
我々は客席でいったい何を聞いて、何に感動して泣いていたのか、本当に不思議でなりません。

客席を少女化させた本当の理由

ところで、終盤、宮本先生は客席を指して「少女のようだ!」と言っていましたが。
あれが本当に"女うた"のコンサートだったのなら、その表情は、女うたの世界の主人公に感情移入したものであったはずです。

でも、実際はそうじゃなかったよね。

素敵な男性歌手が、男の表現で、熱烈なラブソングを披露していたから。

そりゃ、少女のような顔にもなるというものです。

少年のようだ!

ここまでで、「ロマンスの夜」のコンサートで宮本先生が原曲の歌詞の世界も女性を演じることも投げ捨てたと書いてきましたが。
恐ろしいことに、投げ捨てられたのはそれだけじゃなかったんですよね。

なんと、最終的にはコンサートのコンセプトすら投げ捨てられていた。笑

4曲目「First Love」で歌詞の世界から逸脱し、女性を演じることも放棄した宮本先生の歌は、そのあとさらに自由さを増していきまして。

最終的には飛び跳ねるわ、お尻ペンペンしだすわ、いつも通りに「エビバデー!」を連発するわと、さながら「全力少年」の様相だったわけです。
それに客席も大盛り上がりで、いや、良かったけど、良かったけどさあ。

ねえ、「大人っぽいコンサート」って、なんだったの?

言い訳、またはフォロー

一応、少しだけフォロー(?)しておくと、宮本先生は一応、当初の予定通り(?)女性になりきって歌う気は、ちゃんとあったのだと思います。
なぜなら、曲が切り替わるたびに一瞬だけ乙女モードに入っていたから。笑

でも歌に夢中になると、またすぐに演じることなんか忘れて男の素の歌になっていましたね。

このコンサートは、いつにもまして、入り込み方が尋常じゃなかったと思います。演奏する曲に何か特別な思い入れがあったのでしょうか。
よく分からないけど、最終的には女うたより良かった気がするし、何より歌うことに夢中になって楽しんでいる宮本先生がとっても素敵だったので、あれで良かったんだと思います。たぶんね。でも、全力少年になっていたことについては、フォローのしようがありません!笑

色々書いたので、再度、前提を強調しておきますが、「ロマンスの夜」は本当に感動的で素晴らしいコンサートだったと思っています。
帰ったあと、配信チケットを買って5回も見たんだからね!ほんとだから!

おわりに

この、色々なものが投げ捨てられコンセプトすら崩壊していた(のに何故かとても良かった)「ロマンスの夜」をふまえて、私は宮本先生に二つ言いたい。

ひとつ、「ROMANCE」「秋の日に」の女うたは確かに良かった、名曲の素晴らしさを再発見できたし、男のひとが歌う物珍しさも面白かった。
でも、どうせなら、男の素のラブソングを歌ってほしい。その方が圧倒的に客席を虜にできるはずです。女うたはもう十分です。

ふたつ、えー、残念ですが、宮本先生に大人っぽいコンサートは向いてないと思います。50代で試して全力少年になっちゃったのだから、いくつになっても同じじゃないでしょうか。
無理に年相応を装って背伸びしようとしなくても、ずっと少年みたいなキラキラの目で歌っている先生は、そのままで素敵ですよ。

おまけ:宣伝

宮本先生の素敵なアルバム、「ROMANCE」と「秋の日に」はここから買えます!

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