忙しすぎる東京と、加速する資本主義と、宮本浩次の「ROMANCE」
前書き
こんにちは、宮本浩次が好きすぎる人、麻依子です。
もはや誰でも知っている名盤となった宮本先生の「ROMANCE」。
昨夜、NHK の The Covers. で久方ぶりにその話題が盛り上がったので、今更ではありますが、私にとってのこの「ROMANCE」がどういうアルバムだったか、書いてみたいと思います。
効率主義から救ってくれた歌声
この「ROMANCE」が発売された頃、私は日本一忙しない街・東京に住んでいて、IT系の企業に勤めていました。
そして、留まることをしらない効率主義に疲れ切っていました。
ITの世界のものづくりというのは恐ろしいものです。何か実体のあるもの、例えば車などを作る工場でも、できる限りの効率化は進められているのでしょうが、やはり部品を加工したり、運搬したりの時間には縮められる限界があります。人間が手を動かす速度にも限界があります。
しかし、ITビジネスは、実体のないもの、電子データを作る仕事ですから、物理的な制約がない分、より究極的な効率化を求められます。少なくとも私の職場ではそうでした。少なくとも私は、そのように感じていました。
プログラムを書くというのは特殊な仕事で、不得意な人がやれば1ヶ月かかる仕事も、圧倒的な能力をもつ人がやれば15分で終わる、ということが当たり前の世界です。そのため、現場を知らない経営層が、どこまでも際限なく効率化ができるのではないか、という夢を見てしまう世界でもありました。
ITビジネスでなくても、資本主義社会は、そういった、効率至上主義と言える側面を持っていると思います。
資本主義は経済を回せば回すほど潤う、という仕組みなので、世の中のスピードを早めようとする圧力が発生するのでしょう。
もっと効率よく。
もっと早く、大量のお金を動かせ。
その仕組みによる圧力が、全ての人に、休みなく、ひっきりなしに、お金を稼がせ、使わせようとしてきました。より多くの商品を生み出すために労働時間は増やされ、人はどんどん忙しくなる。色々な娯楽商品が、限りある人の時間をより多く自分に使ってもらおうと必死になり、より多くの娯楽を消費してもらうために、人の睡眠時間さえ削ろうとしてくるのです。
私はずっと音楽が好きでしたが、その頃は、通勤中のBGMにするくらいしか音楽を聞けていませんでした。会社に着けば曲の途中だろうが強制的に音楽を止めて仕事を始めていました。音楽を聴くために時間をとって、ひとつの曲をじっくり聴くなんて楽しみ方は、もはや考えられませんでした。たまに時間ができても、それをしようとする心の余裕がありませんでした。
そんな頃、「ROMANCE」が発売されました。
ながら聞きを許さない力強さ
すでにエレカシと宮本浩次のファンだった私は、忙しいながら、何も考えずに、とりあえず「ROMANCE」のアルバムを買いました。アナログ盤も発売されていたので、それもとりあえず買いました。
そして、いつも通り、とりあえずポータブルプレイヤーに取り込んで、いつも通り、通勤中にイヤホンで1曲目を再生しました。
衝撃的な感動を覚えました。
ほとんど、何か他のことをしながら、流し聞きするしか音楽を聞いてこなかった生活で、「ROMANCE」も同じように聞こうとしていたのに。その歌のもつ力があまりに強くて、あまりに訴えかけてくるものが多すぎて、直感的に、これは流し聞きしてはいけないと感じました。
これを通勤中のBGMにするなんてあり得ないと思いました。
曲の途中で止めるなんてあり得ないと思いました。
ちゃんと、音楽を聴くためだけに時間をとって、アルバムを通して、じっくり聴きたいと思いました。
そして、自分がいかに仕事に追われていたか、効率主義に追われていたか、自分のための時間を蔑ろにしていたかに、そのとき気づいたのでした。
忙しさからの救いとしての音楽
その出来事をきっかけに、私は少しずつ、音楽をゆっくり聴く時間を取り戻していきました。
ちょうどアナログ盤でも出ていたことが幸いしたと思います。レコードプレイヤーをセッティングして、レコードの埃を払って、針を落とす。それだけのために時間を作るようになりました。
仕事が忙しい時期は、家に帰ってもずっと頭の中が仕事のことで占められていて、心の休まる時間がなかったけれど、強制的に、レコードをかけて。一生懸命、何も考えないようにして、ただ「ROMANCE」を聴いていました。聴きながら、理由がよく分からないままに、泣いていました。
そうすることで、ギリギリのところで、仕事から切り離される時間を持っていました。
あの頃「ROMANCE」が出なかったら。それを聴くためにレコードプレーヤーを買わなかったら。24時間仕事に追い立てられるような気持ちで生活し続ける日々が、どこまで続いただろうかと考えると、ぞっとします。
歌謡曲のもつ懐かしさ
「ROMANCE」が出たあの頃、私だけでなく、日本中が疲れていたような気がします。
春頃に始まったコロナ禍から、よく分からない緊張感のある日々が続き、しかもどうやらすぐには終わりそうにないと分かり始めた時期でした。
そこにひとつの救いを与えてくれたのが「ROMANCE」だったと思います。
偶然だったのかもしれませんが、「あの頃」を思い出させる曲ばかりだったのも良かったのでしょう。
目先のことに振り回されている自分から、自然と少し距離を取れるような選曲でした。昔を懐かしむ気持ちが、今現在の自分自身をふっと客観視する余裕を作ってくれました。歌謡曲に特有の、ゆったりとしたリズムで、真っ直ぐに歌っているあの声に救われた人は、きっと多くいたのではないでしょうか。
資本主義へのアンチテーゼとしての音楽
しかし、「ROMANCE」が私を効率主義の闇から救ってくれた一方で、音楽の世界にもまた、効率主義の波は確実に進出してきています。
今はストリーミングサービスがとても力を持っています。それの良し悪しをどうこう言う気はありませんが、ストリーミングサービスでは、アルバムはぶつ切りにされ、単曲の配信で聞かれるようになりました。
試聴の数秒で興味を持たれなければ聞かれなくなったために、イントロは排除され、曲の先頭でインパクトを与えるような曲が増えました。音楽の売り方だけでなく、曲の作り方さえも、変わってきているのです。
また、気に入りそうな曲を自動で選曲してくれるレコメンド機能が発達したことによって、人が自分で曲を選ぶことすら減りつつあるようです。レコメンド機能は、好きな音楽を「選ぶ時間」をなくし、それは忙しい人に歓迎されているのでしょうが、それによってまた忙しさが加速する、加速し続けるサイクルを生んでいるように思えてなりません。
資本主義が加速させていく、効率主義と、その忙しなさに、音楽も振り回されているのです。
でも、「ROMANCE」は、それに振り回されるのではなく、その忙しさをふっと緩めてくれるような音楽でした。だからこそ救われました。
音楽は色々な力を持っていますが、癒しや救いになるものでもあるはずです。そういう「ROMANCE」のような力をもった音楽が、この先さらに加速していくだろう効率主義の世の中には、もっと必要なのではないかと考えています。
終わりに
私はもうITの仕事をしていません。辞めた理由は色々ですが、宮本先生の「ROMANCE」をきっかけに、自分がいかに仕事に追われているか、いかに時間に追われる日々に疲れているかに気づいたことも、理由のひとつではあります。
宮本先生の歌声が、「もっと効率よく生きろ」という社会の、資本主義の圧力から一時の救いをくれました。「おまえの心臓の鼓動は1分に60回」と思い出させてくれました。
だから、今更ではありますが、個人的にも宮本先生には恩義を感じています。ただのファンの域を超えた想いを持っている理由の一つです。
先生、私を人間に戻してくれてありがとう。
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