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30歳目前、自分の原体験から令和の生き方を考える vol.4

先日、後輩の演奏会があって久しぶりに台東区生涯学習センターミレニアムホールに足を運んだ。


このホールは、私にとってすごく思い入れの深い場所。

人生で初めてのピアノコンクール。
東京のことなんてまだ全然わからない田舎の高校生だった私が、頭真っ白でバッハの平均律、ラフマニノフのプレリュードを演奏した舞台だ。

二十歳のときには、音大の同期とデュオを組んでコンクールに入選し、全国大会の予選でラヴェルも弾いたっけ。

もうあれからちょうど10年も経つのに、ホールの門をくぐった時の感情は鮮明に思い出されて、どうしてか胸がドキドキしてしまう。

それはただの緊張ではなくて、どこか高揚感にも似ている感覚だ。


だけど、大人になってから、あの時のような緊張感に見舞われる場面が訪れたことなどあっただろうか。

場数をこなしてきたからこそ、普段の緊張ハードルが高いというのもあるかもしれないけれど。

(実際に、仕事の商談など緊張しそうな場面ではいつも「コンクール本番より100倍マシだから大丈夫」と思いながら向かう。)


適度な緊張は身体に良いという仮説

いわゆる「普通」と呼ばれるような大人になって平凡な毎日を送っていると、心臓が早く脈打つことなんてほとんど起きない。

私が人生で経験してきた演奏の本番は、大小合わせると軽く100を超えるんじゃないかと思う。

もちろん、緊張の大小もさまざまだった。

物心つくかどうかの頃の発表会なんて可愛いもんで、「緊張する」という感情すらわからない。

小学校高学年になり、「人を意識する」ことを知って初めて、本当の意味で「アガる」経験ができるのだ。

(はじめての緊張体験では、演奏中にピアノの鍵盤が迫ってくるような感覚になって、ぶっ倒れそうになった。)


「緊張」自体にはあまり良いイメージがないけれど、一方でその緊張を超えた先にある達成感、全身にアドレナリンを感じる瞬間が少し心地よいのも事実だ。

今でも時々、イベントで登壇したり、商談でプレゼンのようなことをすることがあるけれど、その夜の酒は実にうまい。

緊張をコントロールする

最近、人前で話す機会が増えたことで、いかに卒業後緊張することがなくなったのかを思い知るような気持ちになった。

大人になってからのそういった緊張は、あくまでも唐突にやってくるもので、演奏の本番のような「前々から準備しつくしている故の緊張」とは、また少し違っている。

受験やコンクールでは、下手したら1年以上も前から同じ楽曲を練習し、当日のその舞台を何百何千回とシミュレーションしてから本番を迎える。

本番が近づいてきたときの言いようのないワクワク感、早く当日が来て欲しいと思うサンタさんを待つような気持ち、本番直前のやけに冷静で無心になる瞬間。

そのどれもが、準備しつくしたからこそ体感できる刺激だ。


音大を本格的に目指した時、私は少しずつ緊張のコントロール方法を習得した。

そこに至るまで、笑えないような都市伝説まがいの訓練をいろいろ試したりして。

1. 階段をダッシュで上り下りしてから着席してそのまま演奏する
→普段から心拍数を上げておいて緊張した時との差分をなくせばいいのでは、と考えた

2. 目隠しや真っ暗闇で演奏する
→何が起きても動揺しない精神を鍛えようと思った

3. 指先の血流に意識を集中する
→あえて緊張していることを脳に意識させることで冷静な対処をするため

4. 考え方を工夫する
→もはやただの精神論。いつも以上の力を出そうとするから緊張するので、いつも以下でokという心境を作ったり(普段120まで練習して100を本番でやるイメージ)、そもそも過去の練習イメージが頭にあるからこそ緊張するんだ、過去をつくってきた私は偉い、と言い聞かせる


5. 理にかなった本番前のルーチンをつくる
→舞台裏で丹田呼吸法をする(身体の中心部を温めて血行をよくする)
→演奏前に椅子にかけたら両腕を後ろで組みながら天を仰いで深呼吸(こうすることで肩の筋肉がほぐれて酸素が行き渡る)

1〜4は若干気が狂ってる内容だけど(笑)、それも徐々に科学的根拠のある方法を取り入れることで私なりに確立していった。


この中だと、5. の本番前のルーチンはそれなりに効果があったように思うし、今でもいざという場面を迎える時には自然とこのルーチンはやってしまうことがある。

(数々のスポーツ選手が独自のルーチンをもっているのも頷ける。)


こうして緊張とパートナーを組み、自在にコントロールできるようになった私は、度胸があるだとか、肝が座っているだとか評価されるようになった。

心の中が焦りでいっぱいでも、それをメタ認知的に捉えられるようになったからなのかもしれない。


舞台にいるときの自分は、いつも客席から自分を見なければいけないのだから。


大人にとっての緊張

できることなら、緊張なんてしない人生が楽なのかもしれない。

汗水流して、肩に力が入った状態で仕事をするだなんて、そんな非効率な生き方は誰だって望んでない。

でも、毎日ラクして刺激もメリハリもない人生は本当に酒が美味しいだろうか?


こんなことを言うと老害みたいだし、体育会系の暑苦しいやつに思われるかもしれないけれど。

それでもやっぱり私はストイックな人間でありたいし、緊張の先にある酒がうまいことを知ってしまってるんだ。


ああ、だから少し踏ん張らないといけないような仕事ばかり、自ら進んでやってしまうんだろうなぁ。


そんなことに気づいたりしながら、今日もこれからちょっと緊張する打ち合わせに出かけなければならない。


30歳まで、あと1日。

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