又来屋1

韓国人のオヤジの味

又来屋の冷麺 냉면   by いとうじゅんこ 

 季節のある街に暮らす人々は、それだけで豊かだと思う。季節ごとのファッション、季節ごとのレジャー、そして季節ごとのメニュー。夏はやはり冷麺やコンククスだろうか。街の小さな食堂なども、6月になると一斉に「冷麺開始」の張り紙が出る。
 そんな話をすると、必ず「あれ、冷麺は冬の食べ物じゃないの?」という向きがいる。確かに、朝鮮時代の「東国歳時記」(洪錫謨著1849年)」という本には、冷麺が「11月(新暦の12月にあたる)の季節料理」とある。なのでガイドブックなどにも、「ぽかぽかのオンドルの部屋で食べる冷たい冷麺の美味しさ」なんて記述を見かけることがある。
 でも、韓国で長く暮らす人に言わせれば、「冬に暖かい部屋にいたのは上流階級だけ」、「今でも一軒家とかものすごく寒い。冷麺はやはり夏でしょう」となる。
 ただ、ひとつ言えるのは、冷麺とはもともとそば粉やサツマイモ粉の麺に、凍ったトンチミの汁をかけて食べるものだった。冷蔵庫が普及した現在ならともかく、かつては冬にしか食べられなかったものだ。つまり「冬の味」。でも、今はもっぱら夏、あのさっぱりとした味わいは、抜群の清涼剤となる。
 さて、どこで食べよう? 韓国人には他のものはともかく、冷麺にはうるさいようだ。なかでも平壌式(ムル冷麺)に関しては、「この店一筋」といった人も多い。
 平壌式冷麺のビッグ3といえば、かつてから乙支路麺屋、平壌麺屋、又来屋と言われていた。いずれも北朝鮮出身者の創業者が半世紀以上前に始めた店で、今は二代目、三代目が後を継いでいる。「故郷の味を懐かしむ人のために、昔の味を守ってきた」せいか、麺は蕎麦が多くちょっとくせがある。若い人の中には、それよりも最近の冷麺屋のさっぱりとした味を好む向きもある。
 でも、わたしはやはりこの3軒が美味しいと思う。なかでも又来屋、ここの冷麺は私にとっては別格だ。「これこれ。やっぱり来てよかった」と、いつも思うのである。
 この夏もさっそく又来屋に行ってきた。あいからず創高齢者が多かった。創業以来の常連客の息子さんが言っていた。
 「92歳になる父は、今も週に一回冷麺を食べに又来屋に行きます。もう50年以上、そんな父につきあっている私も、もう冷麺はここしかダメですね」
オーナーも代替わり、お客さんも代替わり。老舗がないと言われる韓国で、こんな冷麺屋へのこだわりは、なんだかホッとする。受けつがれる「我が家の味」は「おふくろの味」だけじゃない、「おやじが行きつけの味」もあるのである。

追記 10年以上前に韓国の雑誌に書いた記事。この季節になると、このお父さんと息子のことを思い出します。

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