114年ぶりに市民のもとに戻った龍山米軍基地

東亜日報の日本語版にも記事が出ていた。

ソウル市は龍山にある米軍基地の見学ツアーを始めるという。

「龍山基地は、日露戦争があった1904年、日本が朝鮮駐箚軍司令部の駐屯地とした場所だ。光復(解放)後に米軍の駐屯地になり、韓国戦争直後には32万人を超える米軍兵が駐留した。このため100年以上民間人の出入りが統制され、韓国人にはソウルの中心にある”禁断の地”になった。」

25年ぶりに基地から見た風景は違っていた

 「禁断の地」ではあったが、基地内に入ったことのある民間人も少なくない。私自身も過去に数回入ったことがある。基地内には米軍兵士や大使館職員の家族が暮らしており、彼らは普通の暮らしをしている。外部から友人を招くこともできるし、子どもたちの家庭教師を呼ぶこともある。

 私が初めて米軍基地に入ったのは1990年、その頃、韓国語を一緒に勉強していた語学のクラスメートの米軍兵士と一緒に行った。初めてだったので、とても驚いた。ゲートを一歩入ったら、そこはまさに「アメリカ」であり、特大のハンバークステーキも当時のソウルでは驚くべきものだった。ダーツのあるバーで、バーボンウイスキーを飲んだ。

 その後も何度か基地内で暮らす友人の家を訪れるなどしたが、あまり基地ということを意識したことはなかった。

 ところで、2年前、移転する前にちゃんと見ておこうと思って、米国大使館に勤める友人に頼んで、基地内を車で案内してもらった。旧日本軍の兵舎後など、歴史的・文化財的な価値のある建物も見たのだけれど、私にとっての驚きは別のところにあった。

 25年前には、まぶしかった基地の中が、煤けて見えたことだ。どこかアメリカの片田舎に来たような、取り残された雰囲気。空はソウルのどこよりも広いのだが、それもこの四半世紀の変化だ。空の輪郭となっているのは、基地の外部にある、ソウル市民たちの住居だった。そびえ立つ龍山のタワマン群が基地を見下ろしていた。

 かつて基地に入ることは「特権」だった。基地で働く韓国人たちは、その許可証を誇り高く思い、またそれを利用してPXから米国製品を外に持ち出した。それは一般の韓国人にとって「憧れ」であり、高い値段で取引されもした。

 25年前に初めて入った米軍基地はまぶしかった。まだソウルにもマクドナルド一軒しかなかった時代、タワマンはなかったし、コーヒーだってインスタントがほとんどだった。でも、今は米軍基地の中に、韓国人が憧れるようなものは何もない。韓国の中で、そこだけが時間が止まっている。


 


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