見出し画像

ガイドブックを掘る、韓国の旅3

わずか5pのグルメページ、謎のメニュー

 1982年8月発行の『韓国の旅』(KKワールドフォトプレス)は全211ページ中、食に関するページはわずか7pだ。そのうちに2pが「韓国の味」と題した韓国料理の解説文、5pがレストラン紹介である。

 「韓国の味」の冒頭の解説文はこんな感じ。「韓国料理といえば、辛いイメージが強いがすべてがそうではない」「目と器で楽しむ料理を楽しむ日本食に比べ、韓国料理はボリュームと自然食が主体」「スープ、キムチ類などはサービス品して出てくるのも嬉しい」等等、ここらへんは現在も変わらない。ただ、韓国料理も近年は「目で楽しむ」ことがとても意識されており、あんまりこのことは言われなくなったかなと思う。1990年代までは、「中華料理は味、日本料理は見た目、韓国料理は量!」とよく聞いたけど。

 紹介されている料理項目は「韓定食」、「焼肉」、「スープ類」、「鍋もの」、「冷麺」、「キムチ」。「韓定食」が最初にくるあたりは、このガイドブックが作られた時代を反映している(この件はメシマズなので後でふれる)。今と違うのは「鍋もの」の項目、不思議なので以下全文(といっても短いが)引用する。

「トミチゲ(鯛チリ)、セングソンチリ(はまぐりとイシモチのチリ)、ケタング(若鶏の水炊き)、それに神仙炉といって、日本でいう寄せ鍋などが代表的。とくに神仙炉などは中に十数種類ものネタが入っている」

 謎のメニューが並んでいる。この中で現在のガイドブックに登場するのは、神仙炉だけである。ちなみに最新のまっぷるマガジン・ソウル(2018)の鍋コーナーは、「タッカンマリ」「カムジャタン」「プデチゲ」など。さらに、今は日本人も大好きな「キムチチゲ」や「スンドゥプ」なども昔のガイドブックには出てこない。スープとしては、ヘジャンクックとカルビタンぐらいですね。チゲ類が落ちている理由は推察できるのだけど、それは後述。

 次は「焼肉」だが、この古いガイドブックで扱われているのは、プルコギやカルビなどの牛肉のみ。今や定番のサムギョプサルなどは登場してこない。若い人は知らないかもしれないが、サムギョプサルが今のような地位を得るようになったのは、2000年代に入った頃からだ。それ以前は焼肉で豚といえばテージカルビが主流で、私が韓国に留学した1990年頃も「サムギョプサルを食べに行こう」というのはなかった気がする(下宿の食事では月イチの肉の日サムギョプサル!というのはあったけど)。新村の学生たちの会食では、主にテージカルビやタッカルビ、あるいはソグムクイを食べていた。ということで、1990年の『地球の歩き方』を見てみると、はい、やっぱりサムギョプサルは登場してこない。逆に今よりも大きく扱われているのはコプチャンチョンゴル。新村にあった「朝鮮屋」という韓屋のお店のコプチャンチョンゴルは名品だったなあと、急に思い出した。

 ついでに思い出したのは、あの頃の新村のことだ。ゆうきさんは2003年と今のホンデの地図を比べてその変化がすごいという話をしていたけど、逆に新村という街はあんまり変わらない。何年か前に、1970年代後半に留学生だった大先輩が新村に来て、「ここは相変わらず汚いな」と笑っていたが、早朝の生ゴミにあふれた新村の臭いというのは、他の新しい街にはないかもしれない。ただ、この大先輩よりも、さらに大先輩などは「僕がいた頃はまだ新村に川があった」というから、そこからは大変化だろう。川の名前は滄川、そう新村の住所にあった滄川洞はそこから来ている。新住所では新村路になってしまい、地名から滄川が消えてしまったのは少し淋しい。

 書きながらまたまた思い出したのは、新村の今はホテル街になっているあたりには、以前はルームサロンがたくさんあった。女性と遊ぶ店なのだけど、若い頃そこに通っていた人たちも、皆さん立派になられた。今、某大学で教授をやっている人も、かつてそこでボッタクられて文句言ったらママに飛び蹴りされたなんてのもあったっけ。そこらへんの醜聞をどんどん思い出してしまうと前に進めない。いずれ食い詰めたら、それらを週刊◯春に売って小金をもらおう。そのためには、先生方がさらに有名になったり、政府の要職についてもらわないといけないので、今は活躍を祈ります。

 というところで、今日は時間切れ。続きは明日。まあ、時間があれば。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?