ROGD急発性性別違和

https://www.youtube.com/watch?v=g9WcL9mcP0M

Dr Lisa Littman ; ROGD Rapid onset gender dysphoria 急発性性別違和の名前の生みの親。

両親からのレポートでコミュニティーに普通ではないことが起きていることを観察しました。

子供の時全く性別違和の症状がない子たちが10代に友達同士の間で、自らを”トランスだと自認する”性別違和が発生する現象です。しばしば、友達のグループでです。

この現象をわたしのコミュニティーで見つけました。次々と友人がトランスだと自認するのです。数が小さな町としては膨大な数です。わたしは公衆衛生が専門だったのでこの現象はおかしいと思った。

わたしはコミュニティーでは新参者でしたが、その子たちのことは知っていました。
最初二人でそのときは二人が心地よく生きられることは良いことだと思いました。ところが、3人、4人、5人と友人の間で現れたのです。短い期間の間に。研究者が言っているような数と違うし、思春期、大人の性別違和が何であるかとも違います。

(トランス男性としてクリニックで子供のケアをして働いていた。自分がトランスしたときと、臨床的にも、子供の話も違っていた。 abigail schreier(ジャーナリスト)の本を知った。なぜ人々はこの問題に慌てるのか。あなたはdetransitionerとの関係をリサーチしたのか。)

数人detransitionerと話した。 医療的介入をした結果なのに医師は診ようとせず、いい結果のものばかり見ていた。 真実は何なのか知りたかった。人々は性自認を肯定するアプローチで急いでトランスしようとする。性自認を肯定するかが、トランスをサポートしてるかどうか決める代理投票になっている。わたしはそれが問題だと考えている。一つのアプローチに執着するあまり、信じていることに反する情報に敵対する。わたしは信じていることを変えなければいけなくなったとしても真実を知りたい。もし研究証拠や、矛盾した経験があったら、後退があるだろう。

(どこから後退が起こりますか?)

研究が発表されて、SNSで騒ぎが起こり、アクティビストが怒り、大学やジャーナリストなどリアルな世界へと。 医師や研究者で性自認肯定アプローチの人も後退があるだろう。 患者の親や現場の医師からも感謝された。

(FTMのわたしがトランスした15年くらい前はクイア理論でトランスする人はいなかった。今の文化的現象はクイア理論からきている。わたしはクイア理論は政治的戦略として始まったと大学で学んだが、子供たちはそれが現実だと教えられる。)

優しく接するという哲学で事実は覆い隠され、すべての人にとって健康的とは言えないアプローチが行われている。おとり商法のよう。これが現実だとして促進されているので、わたしたちは生まれつき生物学的な性自認がないということがわかりません。 性別違和を感じるということだけが唯一の根拠として信じるわけです。 わたしもそうだが優しく接しようとすることからこの信条になり、そして性別違和を感じるなら医学的移行が必要だと信じることにつながります。 これらのことが子供たちを良くない道へと導いてしまいます。

(最近の子は思春期になって突然パンクかゴシックのような恰好をして、違うしゃべり方、代名詞を使うようになる。わたしのときは子供の時から同じで、より快適になるようにトランスしただけで、新しいペルソナを採用したわけではなかった。話し方、興味、行動は同じで容姿だけトランンスで変えただけ。)

その子たちはジェンダーではなくジェンダー表現のことを言っていて、ファッションであり、日によってアイデンティティを変える。ひどい場合はそうしなければならないと思い込む。臨床医の仲間によると彼女彼らは(ネットで)調べてアイデンティティを拾って性別違和が悪化する。(周囲と)つながりがなくなるから。変わってると思うのは、皮膚感覚を快適にするため、服装や態度を変えるのではなく性別違和を強くすること。


(わたしの場合と違っている。本当のトランスとは違うとは言わないが、わたしのトランス初期は曖昧だったが、リラックスしていた。今の子は、感情的になりイデオロギーに投資しているように見える。)

そう、わたしたちは回復の方向から離れるように作用している。トランスが本物か見極めることで話した良いことは、トランスしたほうが良かった人と、トランスしたことで傷つく人がいることです。誰がそうで誰がそうでないのかを見極めましょう。多くの人がトランスすることで助けられいるのはもちろんのことです。この見極めに従事する義務があります。

(なぜわたしたちはdetransition する人に興味をもたなかったのか。どうすれば良かったか考えなかったのか)

それがわたしがこっそり教えたかったことです。物事は、あまりにも硬直しイデオロギーになってしまいました。なぜなら道理をわきまえた人は結果も知りたいはずです。人々の経験を無視する必要はないはずです。なぜなら誰か一人のトランスの経験は他の皆と同じではありません。ほんとに(detransitionを)尊敬の念をもって考えることに対し敵意を持って、気が進まなくなっています。これが何がうまくいかなかったについて議論する手がかりです。

23:12

(わたしより先にトランスして後悔している友人がいるのだが、それでも当時二年間精神療法をうけたことは良かったといっている。なぜなら、それによってなぜ自分がトランスしたかったのがわかった、その人は子供のころのトラウマと同性愛者だったことだった。そのころ精神科医が言った言葉を今になって思い出して理解している。ROGDについてですが、WPATHとCPATHがROGDを採用しなかったことについて。わたしはそのことで二つの団体の信用を失った。それらは臨床医のためのものなに。社会的感染による後悔があるのに。)

それは注目すべきことです。わたしがやったことは初期の研究で、仮説で、結論はさらなる研究が必要です。それらの団体がこの研究を不十分だからといって停止させようとしたのが問題。わたしたちは反対しました。ただROGDを人々が不適切に利用する懸念もあります。ROGDは全ての人に適用されるわけでもなく、トランスを否定するものでもありません。なのにWPATHやCPATHや臨床家の団体がROGDという用語は好まないと言ったのは非科学的でした。
わたしがROGDを発表してからエビデンスが蓄積されてきている。臨床家からもそれを診たと聞いている。detransitioner たちも”Peak Resilience project "でわたしの説が彼らの体験と矛盾しないと言っている。
エビデンスが蓄積されれば、彼らの両親にも、臨床家にも役に立つ。
だから適切な対応は、もっと調査しましょうということです。


こういうこともあるねと理解するのも大事ですが、一方でなぜ急激に性別違和の子が増えているのかの説明ができるようになります。また(性別違和の人口の)性別比が男性が多かったのが女性が多くなったことの説明になるかもしれません。スティグマを軽減させたと。
100000パーセントも増えたのです。
一つの治療法つまりジェンダー肯定だけというのは終わります。
少なくとも二つの領域があるべきです。一つはジェンダー肯定的で、他の潜在疾患(他の精神病など)を診ないようにする方法です。なぜなら彼らはなるべく早くトランスさせるのが良いと思っているからです。もう一つの領域は性別違和はそれぞれ違う理由で起こるので、違う診断と違う治療を提供するものになります。治療はトランスさせることではないかもしれません。二つは敵対しているようですが、二つとも性別違和の人々を助けます。

(ジェンダー肯定治療や、”説明と同意”モデルは(トランス)コミュニティーのニーズに答えたものです。アクティビストが評価されたり質問されたりするのは、人間性を奪うもので屈辱的だと主張してきたからです。わたしは(精神科で)評価査定されるのは屈辱とは感じなかった。それによって、(自分を)理解するのに役立ったし、はっきり説明できるようになった。なぜ人々が精神科医に査定されるのが嫌なのかわからない)

はい。ゴールは自分自身を理解することです。どうして(性別違和を)このように感じるのか理解します。価値あのる情報です。わたしもあなたのように当惑します。なぜ人々は評価査定されることを非道と思うのか、なぜ評価するという言葉を使わずに”(社会の)門番”という言葉に置き換えるのか。驚くべきことです。


(以前は、きちっと診断して必要な治療を行っていた。それがいまではそれらの手続きを飛ばして、ホルモン剤を自動販売機で販売しているように気軽に処方する。 同意書だけサインすれば済んでしまいます。そんな医療は他にないです。)

そういうのは他にないですが、医療介入がすごく一般的な分野ではそのように見えますが、その場合、悪い結果を踏まえてガイドラインを作っています。だから今、detransitionerを診ることは、気軽に医療介入している他の分野のようにガイドラインを作るために必要です。

たとえば麻薬は痛みを軽減するために使われているが同時に依存症になる。それでガイドラインが作られた。また抗生剤もそう。気軽に使うと耐性菌を産んだ。 

そのように(精神科での)評価査定を減らしたままでも(detransitionerからの)副作用やマイナス面を見てガイドラインをつくることができる。行き過ぎた振り子を少し戻すように。

36:18 わたしの調査ではdetransitionした患者の24パーセントがトランスさせた臨床医に戻った。これはトランスさせるプロバイダーのほんの一部しか彼らの不満を聞いていないということ。このことはそれらの臨床医が良い結果しかないと信じてしまう原因になっている。 もとの臨床医になぜ戻らないのか聞くと、恥ずかしいと感じたりスティグマを感じるからと答えた。また臨床医がdetransitionerの話を聞こうとしないとも答えた。
他のdetransitionerは医師に聞いてもらわなかった。またお金を払いたくないからです。
だからは私はdetransitionerたちが組織をつくって声を上げることをサポートしてます。

(トランスコミュニティーでdetransの話がでるとたいていそんなことはめったにないとか、きっとトランスに偏見を持っている人が喜ぶような話だろうと仮定してしまう。)

わたしは他の研究者がしないことをした。(トランス)コミュニティーに出向いて、transition と detrannsitionのいろいろな見解を知った。
WPATH やAPA などトランス肯定的なフォーラムやdetransitionのフォーラムに行った。ほとんどの研究は一つかその他という研究で、たとえばUS trans studyはトランスと自認する人だけの研究からdetransitionを考えるものでした。

コミュニティーでは様々な体験を聞いた。29パーセントの人はトランスしたことは快適だが、パスしないので仕事で困るという話は胸が裂ける思いがした。 また58パーセントの人は性別違和は他のトラウマなどが原因だったと気が付いた。 また半数以上の人はtransitionしたことによってそれ以外の潜在的な精神障害の治療が遅れたと答えた。また4分の1の人が、同性愛者やバイセクシャルであることを受け入れられなかったから、トランスしたと答えた。
これらのdetransition した人はそれが最終的に自分を受け入れることにつながった。これらの話はトランスさせている医師にも恩恵を与えることです。

(トランスコミュニティーはdetransに否定的に接し、追い出した。わたしは申し訳なく思っている。自分がトランスしたことに少しでも疑いを持っている人は、detransの話を聞くことができないだろう。)

detransitionerは孤立していましたが、今ではdetransitionerのコミュニティーがあります。6,7年前は他のdetransitionerを探すことさえ困難でしたが、いまではオンラインのコミュニティーがありアドボケイトしています。
またdesisters やdetransitionersのためのセラピストのグループもあります。

(アメリカじゅうに散らばっているdetransitionersに手を差し伸べるのは難しいと思うが)
45:34 最初にわたしが出版したものは様々な体験があったことをしるのにとても役に立ちます。
desistersやdetransitionerの数を調査することは、彼らをジャッジしない質問を加えることでスティグマを回避できます。 トランスコミュニティーに行っても、クリニックに行っても彼らの全体をつかめない。国全体の規模の調査なら可能で、たとえば過去にトランスでしたか? 現在もそうですか?というようなスティグマを回避して質問で調査できます。

49:58 (ROGDの話にもどります。わたしは20年前大学でクイア理論を学びました。Judis Butler の女性の男性らしさという言葉を知った。まだ当時のわたしは(男っぽいレズビアンで)性別違和やトランスという言葉をしりませんでした。授業の最後にはクイア理論を拒否しました。 わたしは自分が子供の時に認識エラーを起こしていて、ステレオタイプの男の子の中に自分が入れるほどだった。クイア理論は自分を不安定にさせた。ゲイとストレートの境界や男女の境界を曖昧にさせた。)

わたしにとってもクイア理論は非科学的です。クイア理論は驚くほど早く浸透してしまったが、個人や社会を助けるとは思わない。

(クイア理論はフーコーの理論をもとにしてると習った。彼はゲイであることは抑圧を受けているからとし、現在のゲイはその行動から認識されるのとは違っている。クイア理論はそういう前提です。とても悲観的な考えです。)

不寛容とレイシズムに反対するグループなども最悪を主張するより、楽観的に人間に寄りそうほうが社会を改善できると思った。

(クイア理論は同性愛者を解放するための政治的戦略でした。性別違和のことも政治的戦略になり、子供たちにクイア理論を教え、ゲイ、ストレート、男女の境界があいまいになっている。脆弱な子供たちにクリア理論を教えるのはどうかと思う。自閉症の子などにとっては所属できる唯一のクラブになってしまう。)

思春期の子供にとってクラブに所属することは大きなことです。

(クイア理論によって性別違和は強くなった。LGBTコミュニティーはクイア理論がひろがっていて、戻れなくなった。同性愛者もクイア理論を受け入れ、性別違和の治療もクイア理論を受け採用してしまっている)

わたしも医療関係の組織や専門の組織までもがそれを受け入れると思っていなかったので、恐怖を感じている。LGB&Tコミュニティーが成長して、一つの理論を押し付けないようにできたらよいと思う。

(わたしたちのGender dysphoria alliance がトランスフォビックだと言われる。15年前はなぜトランスしたなど話し合う機会があったが、今はクイア理論だけしか話せなくなっている。違う体験を話すことができない宗教となっている)

人々は矛盾する様々な情報にアクセスして自分の決断をするに値するはずなのに。わたしが経験した人生ともまるで違います。

1:06

transition をなくすのではなく、評価していたころに戻ります。他の潜在的な疾患がないかどうかとか。本当にトランスするのが良いのかそれともトランスすると傷つくのかとか。医療と精神科の基礎にもどります。医療処置の前にどうして性別違和を感じるのか探求します。

(わたしは一般医の評価は心地よかった。彼女はわたしをリスペクトしていた。)
20年30年まえは過少診断、過少治療の傾向に傾いていた。たぶん医師はそれが終着点でふさわしい評価から反対に向かうことを恐れた。

(そのころ問題だったのは医師がどういう質問してくるか情報を共有して良い答え方を予測していた。そのやり方も良くない。これからはジェンダー審査的療法が良い。査定でも門番でもなく、transitionの準備としての。)

タビストッククリニックのセラピストが中立的精神療法で、ジェンダー審査的モデルを書いた。どちらかの方向に人々を押しやらないというものです。スマートなやり方です。
思春期のすべては段階です。境界へ押しやって自分が何者か知ろうとする。ときどき10代の子は100パーセント正しいと自信をもっているそれが100パーセント間違っているときでも。思春期の判断が将来的にも恩恵を与えるという前提は根拠が揺らいでいる。 思春期の子は一つの方向にとらわれずにアイデンティティを探求するものです。前進していけるように。

(natal sexという用語について)

わたしは産婦人科だったので、胎児のケアもした。出生時に割り当てられた性別という言い方は不正確で、胎児も性別がある。超音波、羊水穿刺などでわかる。natal sexが妥協できる言葉。本来はsexは変わらないのでsexというだけでよい。sexは変わると考える人もいますが、変わりません。

(sex assigned at birth という言葉はDSDコミュニティーからきた。)
DSDの人にはときどきsexは割り当てられる。トランスアクティビストは性別違和はDSDのようだと考えている。男性の脳で女性の身体というひともいるが根拠がない)
そう思いたいのでしょうけど根拠はありません


(わたしは男性的なレズビアンを見てきたので自分が生物学的に変わっていないと認識できる)

30年くらいやってる医師なら昔は患者は自分の生物学的性別を認識できたというでしょう

(今の人は生物学的性別がないかのように言うがそれでは性別違和の意味をなさない)

すべてクイア理論が再定義してしまいました。

(トランス後15年コミュニティを離れ最近クリニックで働くとまるで自分のときと違うので驚いた。わたしのときは子供のときの体験が根拠だった。それをなくすことはできない)

そうです。トランスの定義を変えるのではなく、トランスのスティグマを減らすのがよいです

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