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生きている人を優先する

「私に何かあった時には旦那に舞子のところに行きなさいって言ってあるからね」と、高校時代のバスケ部の友達の1人に言われた。

「私が死んだら絶対に舞子のところに行くからそこで会話したい!!」と話していて、なるほど、と思った。



3/10は去年亡くなったバスケ部の友達の命日でした。
私の高校時代のバスケ部の同期は7人。
そのうちの一人が心不全で突然死したのが去年。



そのお墓参りに全員で行ってきた。



チャネリングができるようになった始めの頃は
死んだ家族からのメッセージを受け取ることがすごく多かった。



カフェで友達と二人でお茶していた時に
見えない誰かが来たと思ったら相手のおばあちゃんだったなんてこともあった。



それから諸々、見えない世界のことを勉強していき、様々な体験を経て、亡くなった人のメッセージは、
亡くなった人からどうしても伝えて欲しいと言う時以外は、私はやらないと決めた。


これはチャネリングができるようになってから8年。
今まで一度も崩さなかったスタンスだった。




ただ、今回のお墓参りで私の考え方に変化が出てきた。



それは、生きている6人の中で、家族ぐるみで仲が良かった1人が、今でも涙を流していること。



1年経った今でも彼女の死に塞ぎ込んでいることがありありとわかったこと。



仲が良ければ良いほど
突然であればあるほど



準備なんてできていないから
死を受け入れられないということはよくわかる。



母親が亡くなった頃の自分を見ているようだった。



それだけ、彼女の死が与えた影響は、
今生きているもう1人の友達に大きな痛みを生んでしまっているということ。


今までの私は、亡くなった人ファーストで物事を考えていた。
言い方を変えると、生きている人に厳しい感じ。


亡くなった人と話をするなんて、一般的にはできないんだし、
自分で乗り越えていくことが正しい道だよね、と。


私自身、自分の母親にアクセスしたいと思っても絶対にしなかった。
それはフェアじゃないよね、と。
したくてもできない人がいるんだから、それを自分はできるからこっそりやるというのは違うよね、と。

この考え方が”正しい”と。



でも、正しさって何だ?



自分で書いていて思ったけど、
この考え方は正しさに縛られた偏った考え方だな、と。




見えない存在のメッセージを取れば取るほど思うことは



今、生きている人の幸せを願うもの
今、生きている人の人生を応援するもの



メッセージの本質は究極を言えば、この二つ。



彼女の突然死が、
今、生きているもう1人の友達を悲しみの檻に閉じ込めるのならば



そして、これが亡くなった彼女との会話で開放される可能性があるなら
こちらからアクセスしてでもやるべきことじゃないかな、と



「正解は存在しない。君が何をやりたいかだよ」



何度となく伝えてくる
見えない存在のこのシンプルなメッセージは、
生き方の全てが入っていると私は思っていて、



今までは
亡くなった人の想いを大事にしたい

そちらを最優先にしていたけど

今の私は、

生きている人の幸せを優先したい

こちらの方が強い




何が正解かなんて本当に分からないけど、


私は私の目の前に来た現実を見ながら
自分の気持ちに正直に行動していくこと


それが今の私のやるべきことである



そんなことを思った出来事でした。

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