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【感想】ヘドウィグ・アンド・アングリーインチを2/11観劇

久々の更新です!
宜しくお願いします!!

インスタにはサラッと自分の考察を書いたのですが、知り合いに多数フォローしているということもあってそこまで踏み込んだことが書くことが出来なかったので、ここでガッツリ書きたいと思います!!ネタバレあります!

このお話は、主人公のヘドウィグが愛のカタワレを探し求める物語。
ヘドウィグは性転換手術で、失敗して、男でも女でもなくなってしまった。
愛してほしい人には、愛してもらえず、怒りと悲しみが、増長して恨みつらみに豹変。
心はひとりぼっちのヘドウィグ。
最後には自分自身として生きていく。という感じで終演。

この話はどこからおかしくなってヘドウィグが、
こういう人生を歩むことになったか、いくつかポイントがあります。

①母親からの愛情

ヘドウィグの父親は6歳の時に家を出て行ってしまい、母親と過ごす日々。
その中でヘドウィグは母親の愛情を感じられなくなっていきます。

母親の愛情を感じられなくなったのはヘドウィグ自身が愛情を感じられない証拠集めをしていた結果。「ある世界」→「ない世界」を見たから。


②恋人からの愛情

母親から愛されないと感じていたヘドウィグは、
男性のころ、軍人(?)の男性から、「君は本当に男性に見えない、女の子のようだ」的なことを言われ、さまざまなモノをもらい彼への愛情を確信していきます。
2人が恋人同士になり、東ドイツを出て、アメリカへ行くってなったとき、男性×男性は当時、検問で引っかかるため性転換手術をしなくてはいけなくなった。しかも手術は失敗で、男でも女でもなくなったヘドウィグ。
無事に東ドイツから出られたものの、恋人は荷物持ちの人と逃げてしまうという結果。

おそらくだけど、ヘドウィグは男性であり、自分のことを女性だなんて思ってなかった。
ただ周りに、恋人に君は「女性の方がいい」と言われ、母親から得られなかった愛情をもらえる恋人に素直に従った。愛して欲しかったから。
ヘドウィグは恋人のことを好きだったわけではなく、好きを勘違いしてた。見返りつきの愛。
見返りの愛は、私は〇〇までやったんだから、ここまで愛を返してね!(私が求める愛のレベルで)
というものだから、初めはいいかもしれないけど、愛は日常になっていくものだから、自分も辛いし、相手もそれじゃ辛くなる。

誰かにもらえなかった愛を誰かに埋めてもらおうとしても埋まりません。

③自分は邪魔者認定

①で述べたように、ヘドウィグは母親からの愛情が信じられなくなって、もはや自分は母親にとっていらない人間なんじゃないか?と思い始める。
決定的な出来事として、ヘドウィグが恋人とアメリカに行くとなったとき、母親の名前をそのまま使って(名前はヘドウィグにあげる形)パスポートを偽造していくことを母親自ら嬉しいそうに勧めてきたこと。
これで彼は、本当に自分に早くいなくなってほしいんだなと思ってしまった。そして、アメリカに渡ったあと、母親が他の国に移住をしたことを知ると怒りを覚えていた。

ヘドウィグは、それが愛されていない証拠にしたけど、母親が自分の名前をあげるなんて、戸籍がなくなるようなものだし、暮らしにくくなるかもしれない。そこまで出て行って欲しかったという捉え方もできるし、それ以上に、ヘドウィグが決めた、愛する人と幸せになって欲しかったという考え方もできると思う。
あと、母親が移住した件は、ヘドウィグが恋人と道を進むことで、安心した母親は自分の道を生き始めた、ただそれだけ。
どう解釈を取るかは本人の自由だけど、焦点が「ない」になっていた彼には難しいことだったのだろう。

以上、①〜③からヘドウィグは今に至る。

「ない世界」を見ながら、愛されたいと願いながら、愛されるために演じて演じて演じて生きている。

不足しか無い世界を生きることのつらさ、残酷さは本当によくわかる。 

何をしても不足にしかならないんだ。
外に愛を求めても、不足しか生み出されない。

私はこの公演を見て、誰が演じてるとか関係なく、(演技でも)本当にヘドウィグが苦しそうに見えてしまった。
ヘドウィグを抱きしめて「もう大丈夫だよ」って声をかけてしまったぐらい。
声は出せないから、マスク越しの口パクで、
「もう大丈夫だよ」と言った。
抱きしめるのはイメージで。

今、このnoteを書いてるのは、このシーンが印象的すぎて、他にもこうやって苦しんでる人がいるんじゃないのか?以前の私みたいに生きるのがつらいって人もいるんじゃないかって思ったから。

私は少しでも、自分の経験を活かして、みんなに「もう大丈夫だよ」を伝えていきたい。

「あなたはあなた」だし、他の何にもなろうとしなくていい。
何かできなくて嘆くことがあっても、究極できなくたっていい。
外から貰いたい愛情も自分から与えればいい。
自己中とは違う、自愛という行為。

もう既に「愛」は自分の中にあるから
それに気づけばいいだけ。

でも、それはいきなりなんてできないよ。
今まで、やってこなかったんだから。
白黒つける、完璧主義をやめていこう。
それは世間の基準であって、あなたの基準じゃない。

この世の中を生きていて、もちろん演技が必要な時はある。でもずっと演技して演技して演技してたら、息が詰まる。

自分だけは自分を責めない。
自分だけは自分の味方でいる。
あなたはあなただ。


外見しか見てもらえないのは、
あなたが自身の外見しか見てないから。

嘆いたって、現実は自身が信じた出来事を投影されてるだけ。現実をどうしようとしなくていい。

あなただけを愛してほしければ、まずは自分を愛することだ。見返りなく、自分を愛してほしい。
莫大な愛のエネルギーをみんなもってる。

自分に向けて。生きていって。

今つらいことがあっても、その出来事があることで、未来の幸せを感じることができるから。

一回「ない世界」を経験しないと、「ある世界」を私人間は実感できないんだ。

あなたは、何に生命(いのち)を削って生きていきたいですか??

ここまで読んでくださってありがとうございました!!





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