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そう見えるのならば、そうなのかもしれない。

はじめましての場所に行くと、必ずと言っていいほど言われる言葉がある。

「自信があるね」「緊張しないの?」「堂々としてるね」「海外に住んでた?」

これらのどれかひとつを、必ずと言っていいほど言われる。
そして、私は必ず同じ言葉で返していた。
「全然そんなことないんです」と。

なぜなら、私は緊張しいだし、自己肯定力は低いし、埼玉と北海道と宮城と東京にしか住んだことがないから。

けれど最近、「全然そんなことないんです」というのに違和感を感じはじめた。
ふと、「そうなのかもしれないなぁ」と、思ったから。
そう言われるのなら、そう見えているのなら、その可能性もあるなぁ。と。

そもそも、言ってもらっている言葉全て悪いことではないのに
なぜそんなに全力で否定しに行く必要があるのだろう。

これは私お得意の、「褒められたら拒否してしまう」現象ではないのか。
この、「褒められたら拒否してしまう」というのは色々な理由があると思うけれど
ひとつに、自分のハードルをなるべく下げたいという気持ちがあるように思う。

私は幼少期、人見知りなんて全く縁のない性格をしていたのだけれど
ある時からその性格が生意気だとか、変だとか言われるようになり
そこから何かが少しずつ変わったように思う。
いや、自ら変えた。
変わったんじゃなく、変えた。

自分が勉強が出来ると、何かで賞をとると、ピアノが弾けると、海外に行くと、
なんだか嫌われるんだと感じたことがある。

うーん。
当時は幸せなことを「聞いて聞いて!」と、みんなに言いまくっていた記憶があるので自慢もしてたと思うし、それはそれで反省すべきところは多いのだけれど(笑)

とにかく。
私が幸せでなければ幸せでないほど、みんなから好かれるような感覚に陥ったことがある。
太宰治の、「愛される最後の手段は道化でした」みたいな一節に、異様に共感したこともある。

今思うと、本当に笑ってしまう。
「なんでだよ!」と、突っ込みたくなる。

けれど当時の自分にとっては、大きな問題だったんだろう。
だって私の世界はその他になかったから。

そこからだろうか。
なるべくなるべく、自分は何も出来ないんだと
秀でてないよ?と、言いたくなったのは。

そう言っていたら、立ち振る舞っていたら、本当に何も出来なくなった。
人間て面白いなぁと思う。
もしかしたらそうなったのは私の本質なのかもしれないけれど、今これを書いていて、本当に恐ろしいなと思った。

本当に、自分が口にした自分に、人はなっていくんだ。
自らその道を選んでいくんだ。

こわい!!!!!

だから、「全然そんなことないんです」と言う私は
本当に「全然そんなことない私」になっていくんだろう。

そして最近は、そこに単純に違和感を感じ始めたんだろう。

私は元々人見知りをしない性格だし
はじめての場所にいくとすぐ隣の人に話しかけちゃうし
自己肯定力の低さを積み重ねてきてしまったのはあれど、周りの人にたくさん愛を教えてもらって自分を卑下することが物凄く減ったと思うし(これについてもまた書きたい)
埼玉県出身だけど、マイは絶対海外合うと思うよって海外の人によく言われるし。

ああ、そうなのかもしれないなぁ。と。

周りからそう見えてるのなら、私ってそうなのかもしれないなー。
なんて思い始めた。

元々、私は「自分」ってなんなのかよくわからない。
「私」は家族や周りの人に影響されて、色々な出来事で変化して、今ここに存在しているから
元々の「私」なんてものはどんなもんなのかさっぱりわからない。
そんなもの実際はないんじゃないかと思っている。

その、元々ないものが少しずつ変わっていくのが
色がどんどん付いていくのが人生なんだと思っている。

だから私はまだまだこれからも変わるだろう。
変わることを拒否しなければ。

まだまだ良い「自分」になっていきたいなーと感じるから
やはり良い言葉への拒否はしないようにしたい。

いつも私を褒めてくれる周りのみんな。
本当にありがとう。
褒められた時にうっかり「いや、そんなこと…」と言い始めたら
「あ!あ!!!」と、注意してくださいな。

今後は「海外に住んでたことある?」
という質問にも、
「あー、そう見えるのならば、そうかもしれません!」
って、返答していきますね。


※ちなみに今回の写真は、友人が【鼻持ちならない新宿か銀座のインストラクター(美容家)】という設定で撮った写真です。
この写真みたら、「いいえ、自分に自信ありません」とか嘘だよなぁと思って
すごく楽しくなりました。

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