「今を楽しむ」と「今さえ良ければいい」の違い
最近悩んでいる人によく話すのが
「今を楽しむ」と
「今さえ良ければいい」の違い。
たとえばドラマや映画を見ていて
「あぁ、カッコイイ・カワイイな~」「あぁ、こんな展開あったら素敵だなぁ~憧れるなぁ~♪」「あぁ~いつこんな人に出会ってもいいように、もっと自分を磨こ~」「明日も頑張ろう♪」
と前向きに楽しむのか。
「あぁ、カッコイイ・カワイイな~」「あぁ、こんな展開現実にはあるわけないよなぁ~」「はぁ...まじイケメン降ってこないかな…」「くっ、明日も仕事かよ…」
と現実逃避の負の感情を乗せるのか。
イベントごとに「楽しむ」「味わう」という気持ちで参加するのか。
「憂さ晴らし」「その場しのぎ」という感覚を乗せるのか。
旅行に「楽しい体験をする」「明日頑張るためにリフレッシュ」という気持ちを連れていくのか、
「日常に戻りたくない」「現実逃避しないと身が持たない」という気持ちを連れていくのか。
今を満たすこと、
その場しのぎで快楽を得ること。
前者には、自分の人生の舵を自分で取れる人が多い。
後者は自らの歪んだ物事の捉え方に縛られ、
社会がつくった価値観に振り回され
他人軸で生きている人が多い。
どちらがいいか悪いかじゃないんだ。
どちらを選んでも、自己責任だから。
その人生をデザインしているのは、自分だから。
それは【心のあり方】ひとつ。
だけど、大きな違いを生む。
わたしはかつて完全に後者だった。
でも、自分の思考が現実になることに気付いて
原因と結果はきちんとつながっているって気づいて
「なりたい未来の自分」
「そうなるために望ましい今の自分」
のあり方を考えるようになった。
わたしは個人的に、
テレビを見るのを一切止めて
受動的に情報を得るのを止めてから
それまでの何百倍も幸せを感じるようになった。
言い訳をやめて恐れを捨てて行動を起こしたら、
願ったことがものすごい早さで実現するようになった。
漫画やドラマは作品として素敵だと思うけど
どんなストーリーより「自分が生きている今が楽しい」と自信を持って言える。
それは自分以上に、目の前にいて関わってくれているひとたちの命の輝きが見えるから。
だれかの悩みに寄り添い紐解きながら、
「こんなに価値があって、キラキラしているのに。どうして自分の良さに気付かないで現実から逃げているんだろう?」
といつも思う。
これはあくまでも、わたしの視点で見える世界。
他人の人生はコントロールできない。
だから他人に求めすぎず、自分の人生は自分でデザインする。
そうやって生きているひとは周りのひとの人生に明るい影響を与え、結果として他人とも幸せに生きることができる。と、わたしは思っている。
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