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レフュージア

 アカネがこうもりあそびばにやって来たのは2012年春頃のこと。

 最初に出会った瞬間のことはなぜだか記憶に残っていない。
 彼女は気付いたら、いつもこうもりあそびばにいた。

 小学校高学年だったアカネは、私のことを「さと」と呼んだ。「さとちゃん」と呼んだ時期もあったが、それはほんの束の間で、ほとんどが呼び捨ての「さと」だった。
 彼女がこうもりあそびばに来た時はすぐにわかった。ある距離まで近づくと、大きな声で「さとー!」と叫ぶ声が聞こえるからだ。
 彼女は私をバシバシと叩くのが癖だった。私がボケたことを言ったり、何か面白いことがあると、繰り返し強めに叩いた。

 こう書くと、粗野な子のような印象を与えるかもしれない。
 けれど彼女は、決して乱暴なタイプではなくて、むしろとても繊細だった。
 たぶん、それだけ気を許してくれていたのだ。

 アカネは絵が好きで、描く絵に出てくるキャラクターは、いつも笑っていた。

 彼女とはよくシャボン玉を吹いて遊んだ。
 彼女は「シャボン玉は生き物なんだよ」と教えてくれた。そう言われると、本当にシャボン玉が生き物のように思えてくるから不思議だ。
 どこに飛んで行くか予想がつかず、コントロールできないところや、いつか消えてなくなってしまうところなど、まさに生き物のように思えた。
 思えば地球上の生命の誕生だって、膜構造からではないか。
 普通に膨らませて飛ばすこともあれば、彼女が「宝箱」と呼ぶ、大きなシャボン玉の中に小さなシャボン玉を入れた多重のシャボン玉を作ることもあった。

 一時期はよく「花いちもんめ」で遊んだ。
 花いちもんめは単純な遊びなのに、大いに盛り上がった。
 盛り上がり過ぎて、しばしば休憩が必要になるくらいだった。

 そうでなくても、彼女は病弱なところがあった。時にはおんぶして自宅まで連れて行ったこともあった。

 ときどき、早い時間にこうもりあそびばに来ることもあった。
 「まだ開けられないよ」と伝えても、「うん。わかったー」と素直に庭で待っていた。
 ある時は、お昼前にやってきて、ずっと開くのを待っていた。
 私は自分用のそうめんをちょっと余計に作り、彼女と一緒に庭で食べた。 庭に生えていたシソを摘んで、薬味にした。
 彼女はシソが苦手だと言いながら、「これはなんだか食べられる」と話した。

 彼女は学校を休みがちだと言った。

 こうもりあそびばはガレージなので、道に面して開いている。
 それは誰もがふらっと立ち寄れる場であるために、また私が周囲から不審がられないためにも必要なことである。
 でもそれは同時に、アカネに悩みを与えることでもあった。

 彼女はときどき、誰かから逃げてやってくることもあった。
 また、おそらく善意で何かを伝えに来る子もいたけれど、彼女はそれを望んでいなかった。
 彼女は隠れることを望んだ。

 遊びと隠れ家を兼ねて、いっしょにダンボールで部屋を作ったり、カーテンをつけてみたりした。
 それでも、ある時からアカネはぱったりと来なくなった。
 いつもの元気な「さとー!」が聞けなくなり、体調でも崩したのかなと思って心配していた。
 しばらくして、友達づてに聞いたところによれば、もう引っ越したとのことだった。

 こうもりあそびばは、彼女にとっての一時的なレフュージアになれたのだろうか。

 レフュージアとは、退避場所のことである
 「逃げ場」と言ってもいいのだけど、それは一般的にしばしばネガティブな意味に捉えられてしまう。
 でも、レフュージアは生物多様性にとって重要な意味を持つ場所である。

 環境が大きく変動するとき、生き物はそれまでの生息地を失ってしまう。
 例えば、氷河期には地球上の大部分が凍り付き、たくさんの生き物が生息地を追われた。
 そんななかで局所的に氷結を免れた環境、つまりレフュージアがあったことで助かった生き物は数知れない。
 逆に、北海道の山地に棲むエゾナキウサギのように、現在の生息地が局所的なレフュージアになっている生き物もいる。

 生き物は、単に厳しい環境に耐えることだけが生存の論理なのではない。適した環境に逃げることができるということも大事なのだ。
 生物としてのヒトも、まさにそうして生き延びてきた。

 アカネと突然会えなくなったことが心残りで、何かもっとできることがなかったかと悩むこともある。
 それでも、数か月の間だけだったけれど、アカネが新天地に移るまでの間、ここが彼女の心が安らげる場になっていたなら、とも思う。

 きっと今もどこかで、アカネがシャボン玉に命を吹き込んでいると願っている。


※私以外の登場人物はすべて仮名です。

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