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私が知らなかった私の恩人 #12

先日母から電話があり、

「〇〇病院の△△先生のこと覚えてる?
 あなたの恩人の。
 20年以上も前なのに綾香のこと名前まで
 まだ覚えててくれていたよ。」

母の言う私の恩人は、全然知らない人だった。

4才の少女だった頃大病を患った

幼稚園に通っていた頃、目に大病を患った。
恐らく未だに病名もついておらず、
原因もなんだったのか分かっていない。

当時わずか4才の私には片目を摘出し、義眼にしなければならない可能性があった。

しかし、結果的には右目は見えなくなったけど、病気も無くなり、右目は今も私のもの…♡

『奇跡だった。』
家族も病院の人たちもみんなそう言っていた。

奇跡じゃない守ってくれた人たちがいた

目の摘出の可能性があると言われた当時の話は、家族から何度も聞いた。
その時の話をすると今でも「変わってあげたかった」と母は泣いてしまう。

けど4才の私は、なんにもわかってなくて、入院中毎日いかに看護婦さんにバレずに売店に行けるか、他の病室のお友達(マジックを見せてくれるおじちゃんや、編み物が得意なおばちゃんなど)に会いに行けるかばかり考えていた(笑)
※よくバレて怒られていた。

目を摘出するという選択肢の理由は病気がなんなのか、原因がなんなのかわからないから。

でもこの時、大学病院では摘出派と非摘出派で
意見が割れており、
前者はどちらかと言えば今後の医学のため
後者の先生たちは私のこれから生きる人生を第一に考えてくれていた。

目を摘出し、義眼にするということが
どういうことなのかきっと今の私よりも先生方のがよく知ってるんだと思う。
(私は正直怖くて知りたくない。)

そして後者の先生方が、「まだ4才のこれからがある女の子だから。」とあらゆる手段を施してくれ、どうにか私の右目を守ってくれていた。

そうしているうちに、突然目の中にあった謎の金の物体(病気のもと)がなんと、消えた…。
視力は戻らなかったけど消えてなくなったのだ。

これは間違いなく、奇跡。
(何が起こったのか誰が守ってくれたのかわからないけど、今でも神様ご先祖様に感謝してる。)

だけど、その奇跡の瞬間まで、私のこれからの人生を考えて私の右目を一生懸命守ってくれてた人たちがいた。

そのうちの先生の一人が冒頭に出てきた先生。

感謝してもしきれない想い

大学病院だったから本当にたくさんの先生たちがいたんだけど、今はもう主治医の先生しか正直覚えていない。

けどその先生は今でも私の名前まで覚えてくれている。

母が見せた今の私の写真を見て、その先生は
「あの小さかった女の子が女性になったんだね〜」とニコニコされていたらしい。

先生が守ってくれたから
今この顔があるよ人生があるよって伝えたい。あ〜直接ご挨拶に行かなきゃだな。泣

右目が見えないことは時々不自由だ。
ほぼ片目で生活をしているので、距離感が掴めず運動神経は良い方なのに、球技系のスポーツが苦手。
運転免許を更新するときも特別な検査がある。

だけど、そんなことなんの問題でもない。
普通の人となんら変わらない生活を送っている。

あの時私のために尽力してくれた人たちがいなければ、もう右目は私のものではなかった。
顔も違ってたと思うし、人生も変わってた…。
考えるだけでもちょっとこわい。

おわりに

人生には3つのタイプの恩人がいると聞いたことがある。

1つ目は、ポジティブな言葉を投げかけて応援してくれる恩人。

2つ目は、批判などネガティブなことを言って、今まで気付かなかったことを教えてくれる恩人。

3つ目は、自分の知らないところで静かに支えてくれる恩人。

今回のことに限らず
きっと3つ目の恩人ってたくさんいるのだ。
自分が知らないだけで、気付いてないだけで。

そうやって関わってくれたたくさんの人たちのおかげで、「今」の私があることにとても感謝をした。

みんな誰しも一人では生きてはいない。
そのことを忘れちゃったら、人生もったいない。








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