やせたいやせたい狂想曲‥

人気女優やモデルを
肉眼でみると
「ここは小人の世界?」と
思うことがある。

いいえ、そこはテレビの世界。

画面でみると普通サイズと
思い込んでいた芸能人の多くは
細い!を通り越してもう
細工や体のつくりすべてが
0.7掛けみたいに「小さい」。

20代のころ、仕事で
彼女たちを見かけることがあると、
つくづく実感した。

「せめてあと3キロ痩せたら、
きっと‥」と
これまでの人生で
思わない時なんて
なかったけれど
3キロ痩せたところで
「テレビの世界体重」からは
はるかに遠い。

そして仮にテレビ体重まで
痩せてみたところで
「なんか、骨格から
つくり直さないと無理だ‥」
という岩のように動かない
現実を見たのだった。

こうして振り返ってみると
当時としても

「何をいまさら‥」という
ツッコミどころ満載で
こっぱずかしいのだが、
かくも20代って
無知の罪にあふれていた。

しかしそれにしても
痩せたらすべてがうまくいく!
という呪いは、
なぜわたしたち多くの女に
かけられているのか。

やせたところで
あなたや私の
抱えているアレやコレやが
劇的に改善するわけもない。

憧れの誰かになりたくても
(かつてはケイト・モスとか
憧れていたものだ!)
顔のつくりとか
骨格とか
頭の中身とか
育ちとかセンスとか経験とか
いろんなさまざまが
あいまって
ひとの差異を生み出しているのに。

そもそも生き物のデフォルトの
価値観として
痩せてるほうがいいというのは
ないはずだ。

痩せた土地、
痩せた馬、痩せたニワトリ、
細い稲穂、
細い人参‥
どれも景気が悪そうだ。

それなのに人間の女が
人間の女に向ける
「あのひと、ほそっ!」
とか
「⚪️⚪️ちゃん、やせた?」
とかいう言葉は
ほとんどの場合に
賞賛もしくは羨望だ。

子供を育てていると
小さな女の子を目にすることが
当然ながら、増える。

すると、初潮を迎える前の
女の子のすらりと伸びた
真っ直ぐな脚、たいらなおなか、
華奢な肩、細い首が
そのまま大人になれば
90年代のスーパーモデル
みたいだと気がついた。

私はこれを望んでいたのか?

多くの女が一度は憧れる
胸以外はほとんど
折れそうに華奢でいいという
体型を突き詰めると、
少女になってしまう。

(胸だけはある程度あってほしいのは
少女そのものでは
ロリコンしか寄ってこないから)

では、おとなの女が
「少女」の容姿を求める
動機はなんだろう。

すっかり大人になりきって
幾年のいまの私が振り返るに、
親に始まる他者からの愛、庇護、
社会の荒波や攻撃から
守られる権利。

それらを無条件に無制限に
受けられる存在、つまり
小さな女の子のような
存在であり続けたかったという
回帰願望なのではないかな。


※このテーマで書き出すと
かつてダイエットフリークだった
私はどうしても、長くなるので
その2へ続く




















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maihal

メディアで働く記者です。海とワインと本が好き。母さん業も。
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