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もう若くない女でよかったと思う朝


女で、しかも若くなくて
よかったと思うことはありますか?

朝の満員の通勤電車で、
人々がひしめきあいながら
スマホにかじりついたり
ヘッドホンを
耳に深く差し込んだりして
時をやり過ごしているとき。

目の前の20代前半くらいの
黒縁メガネの
ちょい太めな女の子の
様子がおかしくなった。

「気持ち悪い!気持ち悪い!」と
いいながら
目を閉じてぐらぐらし出し、
呼吸が苦しそう。
あまりの人口密度で
ただでさえ酸素が薄い。
そこに連日の暑さ。
具合が急激に悪くなったようだ。

「大丈夫?すこし、しゃがんだら
どうですか」
はい、タオル。
わたしはその女性の
背中をさすりながら
話しかけた。

しかし、その女性は
「気持ちわるい。目が見えない」
と、取り乱している。
この電車は
快速の駅まで止まらない。
閉じ込められたかのような状況に
軽いパニックに
陥っているのだ。

とにかく
大丈夫だから。
落ち着いて。
もうすぐ着きますからね。
と、彼女の大きな手を
握って(なんかいまどきの
女の子って大きい)
とにかく背中をさすり続けた。

女性はすこし
落ち着いたのか
ウンウン、と目を閉じて
うなづいた。

東京の朝の通勤電車は
戦後、満州からの
引き上げ列車のように(想像)
混んでいる。
にもかかわらず、
経験者ならわかると思うが
驚くほど静かだ。

その女の子とわたしの
話し声だけ響く車内。

すると、それまでアカの他人として
スマホにかじりついていた人たちのうち
数人が「荷物持ちましょうか」
「ビニール袋ありますよ、
口に当てたら」と
次々にその女性に手を貸して、
みんなで彼女を励ましながら
次の駅まで
乗り切る体制になった。

不思議なもので、
すし詰め状態だった車内も、
いつのまにか少しずつ周囲が
スペースを空けて、
具合の悪い彼女は
そこにしゃがむことができた。

その背中をずっと
さすりながらわたしは
「ああ、女で良かった。
しかもアラフォーに手をかけた
おばちゃんでよかった」
と思ったことだ。


男だったら、
しかもおじさんだったら
いくら気分の悪いひとを
励まそうとしたといっても
20代女性のむっちりした
背中を電車でさすっていたら
ちょっと、いやかなり
微妙だ。

わたしがうら若い女子だったら
「心配だけどこのシンとした
車内で声をかけづらい。
それに迷惑かもしれないし」
などと
真っ先に口火を切るのにも、
もじもじしたかもしれない。
(かくも若さは自意識過剰)。

声をかけられたとしても、
おかん然として
背中をとんとんしたり、
次の駅までずっと
手を握ったりするのに躊躇したと思う。


わたしは30代半ばも過ぎた
社会の酸いも甘いも
そこそこ味わった年齢の、
しかも女なので、
つまり〝おばちゃん〟なので
具合の悪い見知らぬひとを
介抱するに何の躊躇もないし
背中をぽんぽんしてあげるのにも
向いていると思うんだ。

認めようか。

体型やら選ぶパンプスやら
ワンピースやら
髪の巻き方やらに気を遣って
「いつまでも女子」みたいに
がんばってみても、

「きれいめママ」でいようと
努力してみても
わたしはかつて
子供の頃に見上げた
「おばちゃん」に
しっかり、なっている。


で、おばちゃんて、
けっこう役立つんだ。


若くてぴちぴちの頃に
「女でよかった」と思うのは
女子ゆえに
「ひとに何かしてもらえたとき」
だった。

けれど、
生物の鮮度としては
落ちてきた現在
およびこれからは
女ゆえに
「ひとに何かしてあげられた」
ことの方に
「ああ、わたし女でよかった」
と思うのではないかな。














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