見出し画像

ごめんねのひと。

そのお母さんは、
いつも目を合わそうとせず
どこか不機嫌だった。

むくむくした小熊みたいな
ちいさな男の子と、
おませなくせに甘えん坊の
お姉ちゃんのきょうだいがいて
このふたりはのびのびと
子供らしく活発だ。

なのに、そのお母さんは
笑顔をちらりとも見せず
うつむき加減。
挨拶をしても
素通りされたりして、
こちらも怪訝に感じていた。

子ども同士が同じ園というだけで
クラスも違うし
なにか期待しても仕方ない。
気の合うひととは話もするし
たまに子供を遊ばせる。

そうでもなければ
そこまでの、
ごくあっさりした人間関係の
保育園で、
それもまたいい。

そのうち
あまり気にせず、
会釈ぐらいで
すれ違うようになっていた。

きっと私の中で
「話しかけてもしょうがないひと」
というレッテルを
貼っていた。
それでいいんだ。
きっと、放っておいてほしいのだろうし。

季節が変わって秋の終わりの
ある日曜日のこと。
近くの小学校のグラウンドで
そのきょうだいに会った。

週末のグラウンドは
未就学児にも解放されていて
少年サッカーの隣で
ボールをころがしたり
ジャングルジムに登ったり
わたしも息子を遊ばせていた。

きょうだいは
あの無愛想なお母さんではなく
お父さんに連れられていた。

子供同士で
じきに遊びだしたのを潮に
挨拶がてら話をしてみれば
お父さんはごく優しい
親切なひとだった。
そのときわたしは
すこしだけ意外に思ったはずだ。

じきに、そのきょうだいが
何かに気がつき
走り出したその先に、
例のお母さんがいた。

お母さんはひとりではなく
車椅子を押していた。

車椅子には
小学校中学年くらいの
髪の長い女の子が
座っていた。
足がとても細くて華奢だ。
体が弱いのか小さな顔に
チューブを付けていた。

あのひとは
3人きょうだいの
お母さんだったのだ。

甘えん坊のお姉ちゃんは
妹でもあったんだ。
小熊みたいにころころした
男の子は、ふたりも
お姉ちゃんがいた。

最初の子供を
育てるときは不安だらけで
訳がわからない。
その子の体が弱かったら
どれほど、大変なことが
あったかと思う。
そのあとに、さらに
ふたり産んだんだ。

保育園のお迎えのあとに
お姉ちゃんを迎えに
行っていたのかもしれない。
きょうだいのお世話に加えて
もっと助けの必要な子供を
みていたんだ。
そりゃ、疲れるよね。

どこかの知らないお母さんに
愛想よく挨拶しないからって
知ったこっちゃないよね。

わたしはたぶん、
すこし慌てた。
自分の狭量さというか
器の小ささを思い知らされたから。

ひとには事情があるんだよ。

あれから月日が流れ、
わたしはふたり目の子供が
うまれ、やはり同じ園に通っている。

あのきょうだいの
お姉ちゃんは小学校へ
上がっていった。
弟は相変わらず
くりくりした目にむくむくしたまま
大きくなっている。

とくに何の話し合いを
したわけでもないのに、
いつからか
あのお母さんと
笑顔で少しだけ

言葉を交わすようになっている。

グラウンドで
出会った日を境にとか
そんなドラマティックな
展開ではない。

ただ、あのひとが
疲れ切って
笑顔がなくても
素通りされても
わたしは構わないと、
決めたのだ。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?