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グザヴィエ・ドラン監督②「わたしはロランス」

  もしも愛する男性がLGBTであることを告白したら、変わらず愛し、人生を共にすることができるだろうか・・。
 できることなら共に人生を歩みたい。そうでありたい。そうできたらどんなに素晴らしいことだろう!予告編を観ただけで涙腺緩んで胸が締め付けられるような感覚に陥ったわたしだ。雪に閉じ込められていることを言い訳にして、昨日から二回鑑賞してしまった。

 原題「LAURENCE ANYWAYS」。ロランス・アリアが初めてフレッド(フレデリック)に出会ったときに名乗った言葉。

 初めて会ったときに、奇跡が起こるかもしれないと予感させる出会いだった二人。感性が合うというのだろうか、魂が求めあうというのだろうか・・。
 しかし、偽り続けることの苦しさに耐え兼ねてロランスは自分が性同一性障害であることを告白する。そこから世間の無理解と偏見にズタボロにされる二人。物語の年代は1989年から1999年の10年間。今でこそLGBTへの理解が広まりつつあるが、その頃は大変だったと思う。

 一括りにLGBTと言っても個人差がある。ロランスは女性の肉体で生まれて来たかった人。違和感を感じて苦しむのはその点だけで、フレッドへの愛は本物だ。動揺するフレッドに「・・・子供や穏やかな家庭?君の欲しいものは全部あげる・・」と懇願するロランス。ううっ・・ここで泣ける。

 ロランスはフレッドを愛しているから、彼女が喜ぶだろうと男装で現れる。そしてやはりフレッドのために、性適合手術をしないでいる。お互いに愛し合っているのだから、そのままいっちゃいなさいよ~~とわたしは叫んでしまう(心の中でw)やはり今この時代だからかもしれないが、わたしだったらロランスについて行くと思う。(自分が異常だとは思わないけど・・・白状すると男女関係なく好きになっていた。)

 二つ目に泣けるのは、フレッドが一生懸命にロランスを理解し支えようとがんばっていたことだ。しかし、レストランの老婦人に興味本位で無神経な言葉を投げかけられたロランスをかばって「うるさいんだよババア!」とブチ切れたフレッド・・。もうほんとにキャパぎりぎりの状態で、とうとうノイローゼ気味になってしまうのだ。
 ロランスもフレッドもどちらも可愛そうだった。

 三つ目に泣けるのはラストだ。心底悲しかったから、これは書かない。わたしはこんなラストは嫌だ。たとえ映画としてよくできているとしても・・。

 大好きなシーンなら山ほどある!ロランスとフレッド、二人の愛。素敵なわくわくする時間!


 グザヴィエ・ドランは若干24歳でこの映画を監督したなんて、本当にすごい人だと思う。衣装もやはりグザヴィエ・ドラン。目が離せないスタイリッシュさで、夢のような美しい映像が続いていて、何回観ても飽きない。
 予告動画でもその一部が窺われる。

 映像、美術、衣装、音楽についてはそれだけでいくらでも書けてしまうくらい頭の中がいっぱい!・・・なんだけど、もし機会があればということにする。

 蛇足~~~~あるシーンに紛れ込んでいたこの男性はグザヴィエ・ドラン監督ではないだろうか???