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カトマンズのチャイ店

このエッセイは、都築響一さんのメールマガジン ROADSIDERS' wekley 「Neverland Diner 二度と行けないあの店で」 へ寄稿した原稿です。

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カトマンズのチャイ店

その店はネパールの首都カトマンズのチャイ店だ。そこに店名があったかはわからない。初めて行ったのは20年前で、その店はいつのまにかなくなってしまった。

1998年のカトマンズは、まだ今ほど道も舗装されていなくて、土埃が舞っていた。パタンホスピタルからタメルに向かう道の途中にそのチャイ店は現われた。畳一畳分くらいの小屋の中で大きな寸胴鍋の中に、茶葉を入れたミルクがふつふつと沸いている。カトマンズについてはじめてひとりで町を歩いたときに、私はそのチャイ店の前で足を止めた。

その店は人気店だった。午後の太陽の傾き始めた頃、土色の布を腰に巻いた男たちが、次から次へと現れて、そしてその小さな店を囲むように置かれた簡素な木のベンチに腰を下ろし、チャイを人差し指と親指でつまむように持って、啜っている。お猪口をひとまわりおおきくしたようなチャイの器は素焼きでできていて、飲み終わると男たちは慣れた手付きで地面に叩きつけた。割れた器は一瞬で土に還った。大事そうに口に運んでいたチャイの器は、突然地面に叩きつけられる。私は次から次へと器を割る彼らの所作をひとしきり見つめていた。無慈悲な感じが魅力的だった。

その日、私は男たちに混ざってチャイを飲んだ。観光客が来ることがほとんど無いだろうその店で、私は男たちの視線を集めていたが、構わず木のベンチに割り込むように座って、熱々のチャイを啜った。思ったよりもその素焼きの器は厚くて、注がれたチャイの熱がじんわりと伝わってくる。たっぷり砂糖が入っていて、シナモンやカルダモンなどの香りが溶けていた。最後のひとくちで、口の中に細かい茶葉が入り込んでくる。男たちは、時折顔をそむけてぷっとそれを吐き出している。私もそれに習って、唇を尖らせて、ふっと茶葉を吹き出した。

私にとってその旅は、人生ではじめての海外への一人旅だった。私は17歳で、日本にいる間に綿密に(といっても、図書館で見つけた数冊の写真集と沢木耕太郎の『深夜特急』を捲る程度だったが…)ネパールについてのイメージを膨らませていた。土埃が舞う道で、露天のチャイ店の前で、地元の男たちに混ざってチャイを啜っている。そのことに私は満足した。

チャイを飲み終わると、私は店の前で男たちがやったように器を地面に放おった。器は割れなかった。拾い上げて、もう一度投げた。でも割れない。私はかすかにひびがはいっている部分をスニーカーの足で踏みつけた。がりりと鈍い音をたてて、かろうじて器は2つに砕けた。気が済んで店をあとにした。チャイ店から少し離れたところには小さな菓子屋が並んでいた。チョコレートのドーナッツが見えた。近づくとそれは蟻が群がったドーナッツだと気づき、踵を返した。

翌日もそのチャイ店に向かったが、入り組んだ細い道ばかりの当時のパタンで、店をうまく見つけることができなかった。

ひと月滞在したネパールで、私がその店を見つけることができたのは、その一度きりだった。忽然と消えてしまった。私が道に迷い続けたのかもしれないし、本当になくなってしまったのかはわからない。探し続けている間に、20年が過ぎて、もう本当にわからなくなってしまった。

ところで、カトマンズにはバグマティ川という大きな川がある。4年前チベット人の友人が営んでいる毛糸工場へ遊びに行った帰り道、私と友人はその川にかかる橋を徒歩で渡った。その川はゴミの川としても有名だった。川と同じ幅(だいたい10メートルほど)のゴミが川上から川下へ途切れることなく、川の水量と同じ位の量、落ちている。そのゴミ川を見るともなく見ていると、人間3人分くらいの大きさの豚が2頭、ゴミの中にうごめいている。まるまると肥えている。私は橋の上からその豚を眺めながら、わからないことが、わからないままであることが、この国にいると、多い。と、思った。でも、それが気持ちよくて、ここにいるんだと思った。道がわからなくなったり、店が忽然と消えたり、ホームレスの暮らす川辺のゴミの中にまるまる太った豚がいたりして、「不思議」と思っても、誰かに聞いたり調べたりする気にならない。それ以上、追求しなくていいような気持ちになる。


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