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バックパッカー中に起きた話が高熱の時に見る夢くらい意味不明だから聞いてほしい



南部です。

私は高校卒業の記念に、一生懸命アルバイトで貯めたお小遣いで友人と卒業旅行、ではなくひとりで東南アジアをバックパッカーでまわることにした。

今でこそYouTuberさんたちがよくやっている試みだが、当時は割とまじでおかしな人たちしかやっていなかったので情報もそこまでなく、母親は大大大大大反対であった。
「海外の大学にいくんだからそれまでは日本で大人しくしていてよ。」と言われた。ごもっともである。
しかしこの後海外移住前にひとりでトルコにもバックパッカーに行くのだがそのお話は後日。

私はタイ行きの格安航空券、そして到着日一泊分の宿のみを決めて、
予防接種を調べて済ませ、
紙のパンツを買い、
安くてダサい服だけを詰め、
トイレットペーパー1ロールを詰め、
お財布に7万円ほど(旅行中の全財産)を詰め、
微笑みの国タイはバンコクへ飛んだ。

…バンコクでの思い出はまた別で書くとして、

本当に発表したいのはタイの離島タオ島からマレーシアのクアラルンプールまで移動した時の話である。

タオ島はダイビングが盛んな島で、それ以外は申し訳ないがまじで何もない島であった。それがとても良かった。


近くにパンガン島という島があり、欧米やヨーロッパあたりから来たバックパッカーはほぼそこに行くのだ。
理由は、パンガン島では満月の夜に世界三大パーティ(いやなんちゅう括り)のひとつフルムーンパーティと呼ばれる世界のパリピ達が集まるパーティが行われるのである。18歳だったというのもあるし、クラブとか大規模なパーティとか、河川敷バーベキューとか、3人以上で行くディズニーランドとか、とりあえず大人数系アクティビティ全てNGな私は、そこを避けてあえて何もない(ごめんなさい)タオ島に来たのである。


ゆっくりしすぎて、本気で一ヶ月くらいいようかと思った。しかし私はこの旅を3週間と決めて、お金も7万しかなかったので次へ進むことにした。

タオ島の旅行代理店(と言ってもおじさんがご自宅の家具をザーッと動かして自宅の半分のスペースを無理やりザーッと空けて作ったようなローカルなもの)へ行き、

「ここからクアラルンプールまで行きたい。
一番安いルートで!」

そして出発の日、まずは船着場へ向かった。夜出発の便である。
部屋も仕切りも何も無いが、一人一台ベッドが割り振られて、なかなか綺麗な船であった。
向かいのベッドの人もバックパッカーで日記を書いたりなんかして、「ふっわたしも大人じゃん」と思いながら、10日間ぶりくらいにエアコンがある環境で眠れる(外気温36度くらいでしたw)ことになった私は、貴重品を服の下に忍ばせた斜めがけバッグにしまい、すぐに寝た。

どれくらい寝たのだろう。

誰かの悲鳴で起きた。

消灯された船内でうすら目で窓の外をぼーっと見ると真っ暗で、ああ夜の海だもんそりゃ暗いよなと思った瞬間、煌々と輝く月が見えた。そう。船がリアル80度ずつくらい左右に揺れながら航海しているのだ。海が見え、て、月が見える。の繰り返し。
タイ語でも何語でもいいからおだやかに「気にしやんと寝といて〜」てきなアナウンスがあればよかったのだが、何もなく、しまいには叫んでいた人たちも恐怖のあまり逆に静かになった。

そのまま、ああわたしはもう終わりだ、と冷静に思った。
ベッドに倒れ込み今までの人生への懺悔やらをしていると、気づいたら眠りに落ちていた。

あれほどまでに朝日を見て幸せな気持ちになったことはない。

そしてそのあと、タイのどこかの船着場から、
バスへ案内され、また半日ほど走った。
そしてバスから降りると、クアラルンプール行きの者たちは軽トラの荷台に8人ほどで詰め込まれ出発である。
もうこのくらいでは驚かない。

そして着いたのは旅行代理店。
そこでクアラルンプール行きということを伝えチケットを見せると、おじさんがやってきて、

「ナンボ、ナンボ」と言いながらキョロキョロしている。
私が「…ナンブ?」と聞くと、
おじさんは「ナンボ」
と言って私を誘導した。

そして、まさかのおじさんと原付2ケツであるwwwwwww

その後、またタイのどこかへ行き、原付おじさんに別れを告げ、長距離バスの表示にはやっと「クアラルンプール」の文字!もう着かないのかと思ったけど、確実に近づいていた。。
ここまでにして移動時間は24時間を超えていた。
そこからバスへ乗り込み、出発!

そして数時間経つとバスが日本でいうサービスエリア的な場所に停車。東南アジアのサービスエリアは本当に楽しいし何故かご飯がめちゃくちゃ美味しい。
鴨ごはんのようなものを購入し、タイのご飯とはまた違うテイストで、マレーシアぽさを感じテンションをあげてバスへ戻ろうとすると、インドネシア系の方々に囲まれた。
盛らずに、10人以上が私をみて一斉におそらくインドネシア語で話し始めた。
私が「??」となっていると、ひとりの女性に、インドネシア語と英語が混ざった言葉で「あなたの顔がインドネシアでフェイマスな人にベリー似てる」的なことを言われた。
そこでなぞに皆んなと写真を撮るというファンサ(?)をして、バスへ戻った。
そしてマレーシアの首都クアラルンプールへ着いた。

なんと、総移動時間は35時間くらいになったんだっけ…
いや、タイの船着場を出たのも夜で、クアラルンプールに着いたのも夜だったので、48時間くらい旅してたかもしれません。

船(死にかける)→放心状態でバス→軽トラぎゅうぎゅうづめ→おじさんと原付2ケツ→バス
でした。一番安いルートと言ってしまったばかりに、最高の思い出ができました。


今年の年末は旅行したいなあ。
ロサンゼルスの大事な家族に会いに行きたいです。
友人のお墓参りも。

終焉

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