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第354話 僕は、シャンプーハットを、なかなか卒業できない、ビビりな少年だった その2


昨日の記事を読んで、ゆかりちゃんは、

「明日、シャンプーハット買ってこようか😁」

「久しぶりに、使ってみる❓😁」

という感想をLINEでくれた。

珍しく、コメントまで読んだようだ。


でも、今朝聞いた感想は、

「長すぎる」

「シャンプーハット以降は、小難しくて、眠くなるし、求めてないし、どうでもイイし、義務感で読んでいるから頭に入ってこんし…」

と、結構な酷評だった。


自分自身、長すぎる記事には、その記事を読み終える所要時間を考えて、読むことをためらう時があるので、この、ゆかりちゃんの感想(本音&酷評)は、しっかりと受け止めなければ…と、思う。


さて、

その長かった、シャンプーハット記事の、続きなのだ。その2だ。

ここからは、妄想エリアで・・・。

たぶん、また長くなるので、その3も書き、分割しようと、今、決めた。


◆妄想「でも怖いんだ」

少年じょーじは考えた。

いとこのヨッチが来たなら、シャンプーハットを使っていることを、笑われるかもしれない。
もちろん、修学旅行にシャンプーハットを持っていくことはできない。同級生に、間違いなくバカにされてしまう。

いつまでもシャンプーハットをしてたら、そりゃあカッコ悪い。


「でも、怖いんだよ」と、少年じょーじは、お父ちゃんに言った。

お父ちゃんは、「何が?」という。


「眼に、シャンプーが入るのがだよ。メッチャ痛いもん」

「じゃあ、考えてみなよ~。ちなみに父ちゃんはシャンプーハットは要らない。なんでだろう?、ってさ」


「そんなの、大人だからでしょ」

「そうだなぁ~。ほとんどの大人は、シャンプーハットは要らないなぁ~。じゃあ、大人なら、なんで要らないんだろうか? 大人だって、シャンプーが眼に入ったら痛いぞ~。父ちゃんだって痛い思いしたことあるしな」


「ちゃんと眼を閉じているから?」

「なるほど~。じゃあ、じょーじが痛かったときは、眼を開けてたのか?」


「ううん。ちゃんと閉じてたよ!」

「どっちも閉じているなぁ」


「じゃあ、なんで?」

「なんでかなぁ。大人と子どもの、眼の閉じ方が、違うのかなぁ。よく見て、研究してみたらどうだ?」


「・・・」

「あと、ずーっと、シャンプーハットを使ったってかまわないんだぜ。修学旅行に持ってたってイイんだ」


「え~っ⁉」

「他人は他人。自分は自分だ。いつも、『自分のことは自分で決める』、が基本だぜ。そうじゃないと、自分の人生を生きてるって、言えないからな」


「だって、カッコ悪いやん!」

「なら、持っていかなくてもイイさ。持ってても、持ってかなくても、どっちでもイイんだよ。大事なのは、それを、どっちにするのかを、自分で決める、ってことさ」


答えまでは教えない。

これが、ポイントだ。

そして、この妄想は、やはり名著の影響で浮かんだ妄想なのだ。


◆答えは、自分で見つける

答えを自分で見つけるのは、メッチャ大事だ。

そして、もっと大事なのは、子どもが自分で『考えるチャンス』を奪わないことだ。

そしてそして、もっと大事なのは、「自分の行動は自分で決める」という、人生で大切な原則を伝えていることだ。

そしてそしてそして、

1番大切なのは、子どもに敬意を持って接していることだ。


子ども扱いしない。

子どもでも、ちゃんと一人の人間として、対等に、敬意を払って接する。


ヒントを用意するのも、悪くはないだろう。

牛乳瓶の蓋って、ただ乗っけたんじゃダメだよなぁ。かといって、ギュッて、押せばいいのか? もし押しすぎたらどうなるのか? 一度、牛乳瓶のフタを、目いっぱい、指で押してみてごらん。

・・・。

僕は、教えたがりだから、つい、こうやってヒントを考えて、「これは、なかなか良いヒントだ」と思うと、言いたくて言いたくてウズウズする。

これは僕の、致命的欠点で、ゆかりちゃんに四六時中、「求めてないアドバイスはゴミ!」と、たしなめられている。


当然、ノーヒントが良い。

子どもが、間違った答えに行きついても良いのだ。

『間違えた』も、子どもにとっては貴重な体験だし、途中で考え直すかもしれないし、修学旅行にシャンプーハットを持ってって、同級生に冷やかされても、そこまでのダメージではないという体験が待っているかもしれないし、逆にめっちゃ後悔するのかもしれないし、あるいは「実は、僕も家では使っているんだ」と、友達のカミングアウトを聞くかもしれない。

すべて、素敵な経験じゃないか!


大人は、子どもに対して、余計なことをしないで、ただ見守るのが良いのだ。

いつでも駆けつけられるように、ちゃんと見守って、でも、口も手も出さない。

それが大事で、その大前提は、子どもを一人の人間として見て、敬意を払って接するとこなのだ。


◆〆

シャンプーハットのことを思い出し、

カーネギーの教えを思考し、

妄想し、

アドラー心理学の教えへと思考が広がった。


まだ、紹介したい、思考の広がりや妄想がある。

受け売りしたい・・・。


だから、その3へ続く。

閑話休題をはさむか、はさまないかは、今、悩み中だ。


ゆかりちゃんの感想は、きっと、

「まだ長い」

かな?


もしくは、

「その3とか、もうええ。お腹一杯やて」

かな。


僕は、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。




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