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愛犬

6月中ば、雨続きから一転、
晴れていきなりぐっと気温の上がった日、
飼っている愛犬 まろんが、ぐったり。
目がうつろ・突っ伏して動かない・食べない・水も自力で飲めない状態に陥った。
16年生きてきた老体で、人に換算すれば80歳は越えているはず。
よたよた歩くようになってきたけれど、急な様子の変化にたじろがずにはいられなかった。
いつ来てもおかしくないと思っていたその日が、ついに来たのかと思った。

そんな姿を見るだけで、
泣けて、泣けて、辛かった。
そんな日が来ることを私は3年も前から心配していたはずなのに。

私が、高校生のとき、先代の犬がなくなり、その後私の強い望みでうちに来たまろん。
それとは裏腹に、学生時分の私はやることにおわれ、一番若くてかわいい、やんちゃなまろんとの時間を蔑ろにした。
気づけば中年を過ぎ、まろんは確実に歳を重ね、命の針を進めていた。

そんな私は、まろんに対しての何もしてやれてない罪悪感とも言うべき、後ろめたい気持ちが渦巻いていて、
親孝行ならぬ、“まろん孝行“にと強行した日本一周新婚旅行への連行。

まろんの望むと望まざるに関わらず、
日々、日本のどこかを連れ歩き、様々なものをみて、たくさんの人に会い、ともに寝て、ともに食べ、たまに私たちの大切な食料を強奪したまろん。(笑)
この旅、まろんが一番楽しんでいたのでは?と今でも私は思っている。
私たち夫婦の“鎹“となって、旅を可笑しく豊かなものにしてくれた。
私の後ろめたかった気持ちの穴は埋まり、かけがえのないたくさんの思い出をつくって、まろんは元気に旅を終えた。

この旅から3年半

これまでの色々なことを思い、めぐらせ、
まろんと暮らした日々を想った。
心配で、泣いて、よく眠れなかった。

2日後、まろんは体調を持ち直し、
いつもの姿、くらいに元気になった。

よたつく身体に変わりはないが、
自分で食べて、水を飲む。
排泄もできるようになった。

当たり前がこんなに有り難いことかと、
身に沁みる経験だった。
まろんとの日々の“普通の、いつもの、ありふれた“姿がいかに特別なことか。
まざまざと感じた2日間。

それと同時に、いつその日が来てもおかしくないということへの現実味。
それは本当に今日や明日かもしれないという、残された時間への重みを痛感するできごとになった。

これから、決して良くなることのない衰えた足、
ゆるくなった口元、排泄の機能、視力、耳も鼻も。

終えるそのときを思うと、
毎日が真剣勝負だ。
ウェットの缶を買って混ぜてやったり、
ささみを茹でて食べさせたり、
まろんが好きなパンケーキも焼いて一緒に食べた
私のつくる甘味の少ないおやつはこぞってあげることにした
食べることばっかりやな(笑)
悔いなく、食べ惜しみしない。
たくさん声をかけて、頭を撫でる。
手を握り、毛並みを感じる。

かわいいね、
ありがとう、
大丈夫?
元気かい
ゆっくりね

ふっと元気がなくなった、おばあちゃん犬が私にまざまざと 見せてくれたもの。
今をいきる緊張感と潔さをもらった、いい体験でした。
ありがとう、まろちゃん。
これからもがんばるぞ!


#愛犬
#毎日が真剣勝負
#食べ惜しみしない
#明日に持ち越さない
#やりたいことは今やろう
#大切なこと
#命の期限






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