見出し画像

公益法人スタッフになる原点の話

私は社会人の期間のほとんどを公益法人のスタッフとして勤めています。
公益法人の求人自体が珍しいこともあり、けっこうな割合で「どうして就職先に公益法人を選んだのか?」と聞かれることがあって、確かに疑問かもしれないなあと思ったので記録代わりにひとつエピソードを書いておきます。


一番の原体験とは

高校時代まで遡ります。
中学時代こそ帰宅部で死ぬほど図書館の本を読みまくっていましたが、早くから大学進学はせずに美容専門学校に通うのを決めていたところ『ボランティア部はタオルをたたむボランティア*をしている』というのを学校の発行する冊子で発見し、高校1年生の秋にボランティア部への所属を決めます。
動機はタオルが畳めるからでした。早くからタオルが早く正確に畳む練習ができればエステティシャンになったとき役立つだろうと考えたのです。
あとはよく言う「情けは人の為ならず」とか「自分のしたことは必ず返ってくる」という言葉の意味がわからなかったというか本当にマジでそうなのか実験してみたかったという、極めてよくわからん動機でした。
*:学校近くの特養でおしりふき用のタオルをひたすら畳むというボランティア。

余談ですがなぜ「ボランティア部」が存在したのかというと、母校・武蔵野女子学院は、築地本願寺の敷地内に開かれたのが発祥で、仏教の浄土真宗本願寺派の教育をバリバリに取り入れていたためでした。他校でもボランティア部がある学校は大体仏教かキリスト教の学校ですね。
そのためか、部活動の内部的な需要はほぼないに等しく、入部したときの部員も10人ちょっとで、ほとんど全員が他の部活とかけもちしており、半分くらいがなんとなく幽霊部員っぽいという感じでした。

文化祭のできごと

ボランティア部では文化祭の際、毎年中央にある棟の1Fピロティが出展の定位置でした。
ここは入試の合格発表にも使われるほどアクセスの良い場所なのですが、椅子のように腰掛ける場所が若干あるだけで、一歩外に出ればすぐ飲食系のテントが出るところなので常に騒がしく、滞在性はあまり良くありません。
正直にいうと、出展用の教室もあてがわれず、模造紙に部活の活動内容を書いてピロティに貼って展示としているというのが実態に近かったと思います。出し物をしようにも部員のマンパワーがないので最終的に展示に落ち着く感じだったんだと思います。

私はその年以前の文化祭で、文化祭自体にある問題を発見していました。
休憩できる場所が極端に少ない
という問題です。
飲食の出店するテントはたくさんあるのに、椅子も少ないわテーブルは無いわという状態で、直射日光のあたる暑い屋外で立って食べている人も多く、まあチョコバナナやかき氷ならそれでもいいわけですが、焼きそばとか食べたい人は大変困るわけです。
あげくに『文化祭中に地べたに座って食事している生徒がいましたが、他所の人がいるところでそんなことをしないでください』という「他所の人がいなきゃいいのか?」と思うような謎指導が毎年連絡で回ってきたりしていました。
つまりまあ椅子がないからって生徒が屋外に座って食事してたってことです。風紀がどん底すぎる。

そうだここに椅子とテーブルを置こう

そこで、『ピロティは外とのアクセスがいいのだから、ここに椅子とテーブルを置けばいいのでは?』と考え、ボランティア部名義で、椅子とテーブルをピロティに置ける分利用申請を出しました。
ボランティア部の模造紙の展示を見てもらうようにというよりは、単純に自分だったら直射日光にあたりながら立って食べるのは嫌だし、ここに机と椅子があれば皆そこそこゆっくり休憩できるんじゃん?、と、割と気軽に設置しました。

これは推測通りうまくいきまして、文化祭中ピロティにおいた椅子と机は利用する人が絶えませんでした。というわけでその翌年も実施しました。

コトはこれで終わらなかった

この私のアイディアを行動に移したのは「みんなが座って食べたり休憩したりできてハッピー」では終わりませんでした。自分が高校を卒業してから思わぬことが起きるのを目撃することになります。
卒業後に文化祭に行ったらピロティ以外の場所に大量に休憩用の机と椅子が配置されるようになっていたのです。

文化祭では全校の教室にある机と椅子にクラス名が書かれたシールを張り、一旦倉庫になる教室へ全部つめこみ、部活やクラスで必要な分を文化祭の実行委員会に提出してレンタルする方式を取っていました。1クラスの出展で1クラス分の机椅子を使うことはあまりないため、結果として文化祭期間中は使わない部屋に大量に椅子と机がストックされていました。
おそらくは先生のうち誰かが1Fのピロティに出た机と椅子の盛況振りを見て、「あれだけ使わない椅子と机があるんだから、全部出せばいいじゃないか」と考えたのでしょう。

運良く10代のうちにバタフライ効果を見た

となると、もしかするとあの時私が机と椅子をピロティに置こうと考えつかなかったら、いま目の前に座って食事している人は「あれー。座るところ無いね。こまったね」と立ち食いしていたかもしれないな、と思ったのです。あの時私が置いた椅子と机の数はほんのわずかでしたが、『みんなが休憩できるスペースをここにつくろう』と思い立ち、行動した結果がさらにだれかの気持ちを動かし、自分がいなくなったあとまで影響を及ぼしたというのをはっきりと目撃することになりました。

この『机椅子バタフライ効果案件』は一番代表的ですが、その他にもボランティア部での取り組みは、(当時一切無自覚でしたが)振り返るとその後の人生に影響を及ぼしまくっています。

特にバイトなどの社会活動をする前にボランティア部にいたことによって『営利目的以外で活動をすること』が意識のベースになったので、専門学校の時点で既にかなり周りの人と価値観の差を感じ、もともとのボランティア部の入部動機になったエステティシャンの道も『なんか違うわ』と思うひとつの理由になった気がします。エステティシャンになったときのためにボランティア部に入ったのに、結果として違う道へ進む原因になっているのは人生おもしろポイントのひとつです(人生おもしろポイントってなんだ)。

あと「やったことはかえってくる」説の実験結果ですが、『いいことをしたところを誰も見ていないとしても、自分は絶対に目撃しており、その分意識や近い未来の行動が変化する。意識と近い未来の行動が変化すると結果的に未来全体が変わるので、そういう意味で自分自身に返ってくる。つまり「やったことはかえってくる」というのは、人に親切にすると宝くじに当たるとか、ないしは悪いことをするとバチが当たるというような物質的返報が起こるという意味ではない』という結論に自分の中では至りました。

なにかコミュニティに対していいことが起きると皆が「わあ!〇〇が〇〇になってて助かる!!なんだなんだ?誰がやったんだ?」といい意味の犯人探しをしてくれることが多いし、本当に必要なものだったり快適だったり、より適切であれば、じゃあこれを正式運用しましょうという話になったり、維持をするのをみんなが意識するようになる展開も多く、仮に、すぐにそういう展開にならなくても、自分ができる範囲で行動した結果がさらにだれかの気持ちを動かしていて、自分がそれをやめたりその組織からいなくなったとしても、知らないところで影響を及ぼしていることがある。
というのを、10代のうちになんとなく学んだというのも人生的には大きいと思います。

そんなこんなで公益法人におります

と、さらっと書きましたが、上記の過程があっても基本的にコミュニケーションが強火でストレートで割と何も考えてないのには変わりないので、結構普通に営利法人(株式会社)でいろいろな人とぶつかりまくり、『うちは慈善事業をやってるんじゃないんだ』とか『お前は霞を食って生きていくつもりなのか』みたいなことを遠回しに言われたりしてバカ正直に『はいそれでも構いません!』とか言って火に油、自らでは消火しきれなくなるみたいな、若気の至りにしたっていくらなんでもアホくさすぎるだろうということをしたりして、そういう流れでたどり着いたのが公益法人だったという感じです。

私の感覚としてはずっと社会に机椅子を並べ続けている感じに近く、これからも色んなとこに机椅子を並べ続けたいです。わっはっは。



この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?