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スピリチュアルは20%

実はタロット占いができる。
好奇心ではじめて、センスがあったのか当たると評判になり大学時代よく占った。知っている人だけでなく知らない人もよく占うし、行列もできた。

絵解きは完全にセンスだ。多分、語彙力と関係が深くカードの出るタイミングと絵の意味がわかれば、文脈が理解でき語彙がある人であれば、ある程度、絵解きはできる筈だ。出る位置とカードの意味の組み合わせ、ここにセンスがいる。
不思議さを見出すならカードの偶然性だけ。
別に未来を見通す力、言葉が降りてくる巫女体質、憑依タイプ等の力は全く要らない。
絵解きに神秘は必要ない。
文系力さえあれば出来ます。
アプリのタロットで充分で、後は受け取る方の感受性の問題だ。

いろいろ占い方はたくさんある。私は大アルカナを使う(得意な武器のことみたいだな)
単にトランプの数だけ使う小アルカナカードの意味の記憶がめんどくさいだけだなのだが。

当たり始めると囁くものがある。
中から聞こえてくるのは
「私ってすごくない?霊感?」
外からは、
「占いの館とかで儲かるんじゃない」
友人たちからのお世辞。
おっと。危ない。
スピリチュアル嫌いじゃないからタロットカードだって、はじめたわけだけど、それが分からないほど愚かでもない。

私の母親は商売人。損得にはうるさいし基本的に不安なので占いに頼ることが多かった。占いや依存について考える機会の多い子ども時代だった。
家相、健康食品、健康器具、風水。さらに改名や判子。
どれだけ振り回されただろうか。それがいいと言われれば、どうしようもないのが子どもの現実だ。子どもは家から逃れられない。
我が家が他の家と違うことは、姉も私もかなり早くから気づいていた。
あげればキリがない。
私の長男の名前は、漢字が彼の運を止めてるとのことで、音読みで呼ばれた時期もあった。
まぁなかなかに迷惑を被っている。とりあえず「ハイハイ」と言っておくことが対応策だ。
それでも変なカルトにハマらなかっただけまだマシと言える。
判断力が少しは、残っている。
その配分が母は絶妙だったのだ。

結果的に成長過程で、占いは程々に、と分かっていたのでルールを決めた。
お金は取らない。
欲が絡むとろくなことは無い。
厳しめのことはやんわりと伝える。
このふたつを自分の占いに課した。

ある時、友人に渋谷にある流行りのタロット占い館に誘われた。自分でもやるのに、と思うかもしれないけど独学なので好奇心もあってノリノリで行ってみた。
渋谷東急ハンズの近くのビルの二階。
占いの人は選べない。順番が来て友人とふたり占いの部屋に通された。
私はガッカリした。
とても占いが当たりそうな雰囲気ではなかったからだ。バンドマンといった風情、狙っているのだろう。底の浅さが滲み出る様なオジサンだった。
「ああ、今日調子悪いな、降りてこないかもな~
いやごめんね、降りてこなかったら」
「はぁ、、」
占いが始まった。
一通りの手順を済ませると目をつぶって「んん、来た」とか、眉間に指先をあていう。
酷い有様だ。
大した占いの結果でもなく「はい、3500円」
これで?
絶対自分の方がマシだし親切だ。
なぜ金を払ってあなたの芝居がかった占いを有難く拝聴しないといけないのか、ぼったくりだとは思ったが、ここでごねる程の度胸もなく同じような感想を持ったと思われる友人と、どんよりしながら帰路についた。

お金を取るようなことをしなくて本当によかった。
こんな詐欺で、ついでに何者かになっているつもりの腐った大人にはなるまい。
この程度で、ホイホイとやってくる私たちのような子どもや心が不安な人を騙してお金を巻き上げるのだ。
心配ごとで心が塞ぎ、夜も眠れず、縋るようにくる人も、半分怪しみながら、少しでも辛いことが軽くなるような未来を示してもらいたい普通の人、例えば私の母親の様な、そんな人たちにも群がる輩が世の中にはたくさんいるのだ。
全くいい勉強だった。

そんなことがあって以降、興味も薄れて話題作りや遊びでしかやらなくなってしまった。
独学で遊び半分でやっている程度では本気で易学を勉強して時間を費やしている人には叶わない。
それでもタロットはふつうに出来てしまうので、齧ったくらいで勘違いする人は多いのだと思う。不幸な事だ。

『スピリチュアル』は便利な言葉で、オカルト、インチキ、などの時代から進化しカジュアルに語れる。
スピリチュアルという言葉を広めた方の著作を読んだ。著作にある言葉『不思議は2割』が気に入った。
正確かどうかはわからないが、言い回しは、どうでもいい。スピリチュアルなことは全体の2割でいいという趣旨のことだ。
ちょっぴり味付け程度で。
これがとてもいいと思っている。
スピリチュアルに凝って、何か特別な霊感を持っていると勘違いしたり、今の不自由で面白くない生活を劇的に変えてくれる何か、が、現れることは無い。かと言って物理だ科学だと強く言ってしまうのも味気ない。四角四面に科学というよりはそれくらいの余地は残した方が健全ではないか。全ての事象が科学で説明出来ない限り。
「無神論者でね」と子どもに言うのも野暮、仏壇に手を合わせる、神棚に拍子をうつ、それ位の信心がちょうどいい。
信仰も科学も占いも、信じ過ぎては及ばざるが如し。
味付け程度に、御籤を楽しむように当たるも八卦当たらぬも八卦でいいことだけ信じればいいのだ。

長男には幼い頃から「まァ、おばあちゃんのしたいようにさせてやって」と、音読みで呼ばれることについて因果を含めていた。
反面教師か、子供たちはこの手のことにはあまり引っかからない。
あまり褒められた養育環境ではないけれどそれも教育なのかもしれない。

スピリチュアルは2割。

不可思議なことは2割程度信じてあとはそれも楽しむようにすればいい。
ここまで語っておいて何なのだが、実は不可思議で説明出来ない体験をしたことがある。
あまりにも素晴らしい体験だったので、披露する気持ちがない訳では無いが、今のところ誰にも言うつもりもない。

内緒だ。

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ちょっと寂しいみんなに😢