ある1人の大学院生との出会い
僕には間違いなく自分の人生を変えた出会いがある。
2013年6月
僕はある場所に通っていた。
そこはトラウマ(心に傷が残る非日常的な恐怖体験)によって傷ついた心を治療する大学院に併設された施設だ。
看護大学在学中に授業の内容で過去に受けていた虐待の記憶が蘇ってしまい、まともに日常生活を送ることができなくなった。
学校の近くの病院の先生の勧めでトラウマの研究が盛んな大学の相談センターでトラウマ治療を受けることになり、出会ったのがNさんという同じ歳の女性だ。
Nさんは当時、臨床心理の大学院生で、もしあのときNさんに出会っていなかったら今頃僕はどんな人生を送っていたのかと思うと正直身の毛がよだつ。
「はじめてここに来た頃は目も合わせてくれなかったからどうしようかと思った!笑」と後にNさんから言われるくらい、最初は心を閉ざしきっていたうえに、会った後はぐったりで行くのをやめようと思ったことは数知れない。
Nさんと関係を築くことができたのは、電話がきっかけだ。
通所先の施設で落ち着くために取っていた行動を咎められ
「迷惑じゃ!帰れ」
と言われた時のこと。
帰りに電車に飛び込もうと思った時にふとNさんとの約束を思い出し電話をかけた。
その時はいらっしゃらなかったのだが、何分か経って折り返しの電話をくださった時に
「よく電話してきてくれたね。嬉しいよー!!」
と言ってくださったことが2人の信頼関係のはじまりだ。
それからの心理の時間は僕にとってかけがえのない大切な大切な記憶。
当時、愛着の問題が前面に出ていて大人をわざと怒らせてしまう癖が少々あった。
Nさんはそのときのことを
「あのときね、ようやく私は試されるに値する人間になれたのかって思って嬉しかったんだよ」
と言ってくれ、僕を丸ごと受け入れてくれた。
というか僕は、治療者と言われる人たちに対して
”どうせぼくと関わるのは仕事やろ!家に帰ればおかえりって言ってくれる家族がいて帰ったらちゃんとごはんもあるんやろ!”
としか思ってなかったひねくれた子どもだった(高校生の頃に入院してたときも大事な日にお母さんは来てくれず、先生との約束もすっぽかしたり色々とひとりでがんばった悲しい体験もある)
Nさんはそういうのを抜きにして、はじめて信頼できた大人だった(同い年)
セラピーが進んでくるとNさんは
「ちいさいころに甘えられなかった分、今甘えるのは大切なことだよ」
といって頭を撫でてくれたり、おひざにころんってさせてくれたり
ただただ安心安全な時間を与えてくれた。
「だいじだよ。たいせつだよ」
「〇〇くんの笑顔だいすき。ほんとうに素敵だよ」
って今ならちょっと恥ずかしくなるような言葉も、お腹がいっぱいになるくらいたくさん言ってくれ、その甲斐あって、それまで全く持つことができなかった「嬉しい、悲しい、楽しい、腹が立つ」といった"感情"を持つことができるようになれた。
今もまだ気持ちと感情がつながりにくい部分はあるけれど、これでも随分ましになった方だとは思う。
しかしNさんは当時、大学院生。やってくるのは卒業だ。
2年生の1年間、僕を担当してくれたあと、卒業で新しい院生さんに引き継がれることになった。
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ぼくの中にはNさんがいます。
Nさんの指導教員だったT先生。
今もぼくと繋がっていてくれて本当に感謝しています。
ある日ぼくは辛い気持ちに耐えられずT先生にNさんに伝えたいことをメッセージしました。
すると先生がNさんに転送してくれ返事がきました。
メッセージをもらったときただただ泣きました。
Nさん、僕の中にももちろんあなたが居ます。
居なくなるわけがありません。
だけど悲しいかな、年々思い出しにくくなってる気がします。
だけどあの体験が今の僕たちを作っているって改めて伝えたい。
今、辛いことがあっても踏ん張れることができるのは、あの時の体験のおかげだっていうことを。
Nさんからもらったやさしさや愛情をぼくは次の世代に届けたい。
だいじょうぶだよ、ここにいていいんだよってしっかり伝えていってあげたい。
いつかNさんに会える日が来るまでしっかりぼくの歴史を刻んでいきたいと思う今日この頃です。
そしてこのnoteがNさんに届きますように。
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