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清丸を通してAllrightが伝えたいこと

東郷清丸。

一度聞いたら忘れられない、歴史を変えそうな名前。

このインパクトのある名前の彼は、昨年11月に音楽レーベルAllright Musicからデビューを果たした、巷で話題のシンガーソングライターであり、古い機械を使いこなす活版印刷職人でもある。そして我々Allrightのメンバーのひとり。

知り合った当時、彼は24歳で印刷会社の営業として2年のサラリーマン。
週末は趣味のバンド活動をマイペースに、と
これといって目立つわけでもない、普通の男の子でありました。

彼と出会ったきっかけは、その趣味のバンドのライブ。
テンテイグループ(当時はmicannという名前でした)というバンドを組んでいて、そのバンドのキーボードの女の子・北川夏希さんとはお仕事を通して仲良くさせてもらってた。

そんな彼女のステージ姿を見ようとライブに行ったのが運のツキ。いつのまにやら、清丸はぬるっと隣にいた。

そう、彼はいつのまにかぬるっと懐に入り込むという技を持つ。
気がつくとなんやかやと世話をされ、結果なんだかいつも誰よりも徳をしているように見えるので、Allrightメンバーは彼のTwitterのユーザー名kiyomarizationをもじり、裏であやかりゼーションと呼んでいる。

しかし、徳ばかりする人などやっぱりいない。
彼には彼の悩みがあったのだ。

国立大卒の高学歴。
しっかりとした会社の営業。
人当たりも柔らかく、大事に育てられたんだなぁ、とわかる佇まい。

なんの問題もないじゃないの。

しかし、そう見えていたのは実は表面だけ。当時の彼は自分の特質や良さを全然発揮出来ず、悶々と過ごしていたらしい。

2015年の年明け。
今思えば、何とかして自分というものを全うしたいのだ!という魂の叫びみたいなものに動かされたんじゃないか、と思うようなメールが清丸から届いた。

メール載せちゃおっと。

「2年間勤めながら色々なことを勉強することができ、まだまだ精進が必要ではあるのですが、プライベートの方で様々な分野の人たちと出会ったり、新しい企画にチャレンジしてみたりする楽しみを知る中で、こういった動き方をもっと活かした仕事をしてみたいと思うようになりました。
そこで、活版印刷を軸にデザインやイベント制作など多様な活動をされている御社でならばそれが実現できるのではと考えました。

特に実績・キャリアがあるわけでもなく、少数精鋭の御社の中ではかなり難しいお話かとは承知しておりますが、ぜひ気持ちだけでもお伝えしたくこうして連絡差し上げました。
ちなみに雇用形態につきましては、アルバイトや契約社員といった形でも、生活費との折り合いさえつけば構わないと考えています。」

ライブには行ったことはあっても、個人的にやりとりをする間柄ではなかったので、重たいの来たな〜とは思ったんだけど、当時からライブは素晴らしかったし、一回話してみるかぁとご飯に行った、、その時のお写真ドン…!

ははは!

…誰。

この後、一度お断りするも、活版職人としてならお手伝いして欲しいかも、でもバイトからね、という感じで徐々に参加していった清丸。

あのメールが来たのはほんの3年半前の話だから、今がこんなだなんてビックリだけど、Allrightにぬるっとやってきた清丸のやったことは別段特別じゃなかった。

特別じゃないんだけど、すごく勇気がいること。

それは、本当の、ありのままの自分を受け入れること。

2つお願いをすれば、持ち前の大らかさが冴えわたり、必ず1つ忘れる。

頼んだ仕事も期限を伝えないといつのまにか無かったことになるブラックホールのごとく広い器。

注)褒めてるようで褒めてません。

Allrightはたった数人だし、組織の体質的にやったことのない方を選ぶタイプなので、マニュアルがない。毎日予想してないことが起こる。
だから、教える・教わる、そういう関係が成り立ちにくい。
いつでも誰でも自分の考えで判断して進んでいかなきゃならない。

恐らく受け身の態度が身についていたであろう当時の清丸。

少ない人数だから、ごまかしもきかないし、見たくなかった自分のことが浮き彫りになっていく。。。

Allrightでの日々は、最初きっと本当に辛かったんじゃないかと推測できる。

たまに、話してる時にグッと言葉がつまり、涙を流すこともあった。
悔しかったんだと思う。
自分に対して腹を立てているように私には見えたから。
なかなか思うように行かない。
こんなんじゃない、自分はもっともっとすごいと知っているのに。

何度か、あ、もうダメかなぁということもあった。
去って行ってしまうかなって。

でも、清丸は自分を信じ、だめなところも、いいところもちゃんと見るようなって、本当の自分が望む「自由」というものを少しずつ思い出していった。

そうして、2年を経た頃、
「やっぱり音楽で生きて行きたい」
それも
「Allrightでやりたい」
と私たちに言い、私たちも覚悟を決め
レーベルを立ち上げたのだった。

2年を経ても、2つ頼んだことは1つしか進まないし、期限を言わないとお願いは宇宙の彼方へ消えていく。

それでも、そうである自分を丸ごと受け入れて、できないことは助けて下さいと頭を下げて、自分しかできない音楽を命懸けでやっている清丸を見たら、前のようにできなかったことをただただ怒る、という訳にもいかなくて、こっちもなんだか自分を見直してみたりかなんかして。

そうこうしていたら、サポートをしてくれる心強いアルバイトのはーちゃんが現れ(ほんとに現れたと言うのがぴったり)、今はおかげさまで注目してくれたり、応援してくれる人が沢山いる。

元来目立ちたがり屋で、見てくれる人が多ければ多いほど調子が出る清丸は、ちょっとずつ大きくなっていくステージに立って精一杯自分を発揮してる。

最後に言っちゃうんだけど、デザインを学んで、大きい会社に移って、お金を稼いで、3年くらい頑張ったら音楽をやる、とか言ってましたからね、ほんの2年前は。

え?音楽やれるの、5年後じゃん。ってその時はびっくりしたけど、それが当時の清丸の世界では選ぶべき唯一の道だったんだろうな。

私は40代の大人として、ずっと年下のこの人がそんな選択肢しか選べない世の中を作ってきちゃったのかと思うと自分にがっかりした。
だからせめて私が思ってることを伝えないと。

そして言えたのはたった一言だけ。

「来週地球が終わるってなっても、同じ選択をするの?」

そうしたら、清丸はきっぱりと

「…いえ、すぐ音楽をやります。」

と言った。

そして、その年にAllright Musicは誕生したのだった。

こうやって、ごまかさないで、自分に確認して、自分で決めて、そうして進んでいくことしかできない集団ではあるけれど、私はそれが一番大事だと思って生きてきたし、これからは清丸が音楽にのせてそれを伝えてくれてるとも思ってる。

その場所から、いつでも、自分に確認をして勇気をもってはじめる。
人と比べないで、自分の声を聞いて、決める。
それがAllrightが大事にしてること。

特別じゃないけど、勇気はいる。

#allrightmusic #東郷清丸 #allrightprinting #活版印刷



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