もしもウサギにコーチがいたら

コミュニケーションの主導権は聞き手にある

今年2冊目の本は「もしもウサギにコーチがいたら」というコーチングの本。

コーチングの入門書とのことだけれど、個人的に印象に残ったのは「聞くこと」
教えたり、導いたり、というときには、ついついコーチや教える側に主導権があり、引っ張っていくイメージがありがち。
しかし、この本の中では徹底して「聞く」ということに重きを置いていると感じた。
そして同時に、物事を思った通りに相手に伝えることがいかに難しいかということを気付かされた。

例えば、頭のなかで考えるスピードというのは、普段の話し言葉の30~50倍もあるそうだ。
確かに、考えることを全部話そうとしたら、ついつい早口になったり、逆に言いたいことが全部言語化できずに、何から言っていいのかわからなくなることもある。

そして口に出したことの一部、ここでは運よく9割ほど伝わったとすると、相手に伝わるのは、最初に頭で考えたことを100とすれば

100 × 1/30 × 0.9 = 3

100考えても、たったしか(しかも運よく伝わった場合)自分の想っていることは伝わっていない。これは結構少ない…!
そもそも30分の1になる時点で、どれぐらい効率的に?言語化するかも重要だ。
言語化って結構練習しないと適切な言葉が出てこない。

更に最後の伝えるところも、なかなか9割も伝えるのは難しい。
なぜなら聞き手は、聞きたいことを聞きたいように聞くものだからだそうだ。
(つまりは文章も同じで、読み手は解釈をするときには読みたいように読む…ということだ)

どんなに役に立つ話をしても、それ自体は価値を生まない
その話を参考にしたり自分の教訓にしたりするのは、聞き手であり話し手ではない。コーチングもそういう意味で、聞くことに重きを置いているのだろう。

逆に大したことない話やふっとしたところから、ヒントを得て価値を生み出したり、何かを成し遂げる人もいる。

いずれにせよ、何か伝えたいことがあるときは(特に教えたいこと、育てたい想いがあるときなどは)きっちりとわかりやすく伝える責任が話し手にある

もちろん聞き手側に回る方にも協力できることはあるし、した方がより円滑なコミュニケーションができる。
例えば、上記の内容を踏まえると、意外と聞き手が思っているより、色々と話し手は言いたいことがあるのかもしれない。

本のなかでは、

話し手が話していることを、たった1つの解釈に頼って判断するのは、見誤ることがあるかもしれない、他の解釈も参考に3つ以上の解釈を用意して、そこから一番いいものを選べるようになるとより良い。

と紹介されていた。

これには、びっくりした。
普段の会話のなかで、相手が言っている意味はこうかな?と選択肢をつくることなんて考えたこともない。

そして思い出したのが、今、我が家で読んでいる「アオアシ」というサッカー漫画だ。
この漫画、サッカーどころか、オリンピックですらあまり見ないぐらいスポーツには興味がない私が、今一番面白いと思うコミックなのだが、そのなかで、主人公が天才と呼ばれる選手のコメントを聞いて驚くシーンがあるのだ。

その天才選手も「いかなる局面でも、どれを選んでも正答となる4つの選択肢を持ち、一つを選ぶ」と話しており、それに対して主人公が「(自分には4つどころか)選択肢なんてない。『これぞ』と思うプレーはいつも一つだ」と答える。

まさに同じ境遇だ、と笑ってしまった。
コミュニケーションとサッカープレーは違うかもしれない。
けれどコーチングを行うようなコミュニケーションのプロも、選択肢を用意しているというなら、そうなのかもしれない。
確かに、解釈は事実ではない。自分の頭のなかで翻訳された結果にすぎず、それが正しいなんて保障はない。

コミュニケーションを聞く際に、まず解釈の選択肢を作ることを意識するだけで、視野はずいぶん広がる気がする。

ちなみに上記で紹介した「アオアシ」というコミックは、コーチングを学ぶという視点で読んでみると、意外と色々と参考になるとも感じたし、何よりサッカーの面白さがどこにあるのか、といったことを知ることもできるのでこちらも是非おススメ。

以下は備忘録的に。

反省させたいのはコーチの理屈。反省したら同じ失敗を繰り返さないという思い込みがどこかにあるのでしょう。反省させると委縮して行動を起こさず、失敗は減る。それでは行動しない人になってしまう。反省する時間があるなら改善案を。

2冊目:もしもウサギにコーチがいたら 「視点」を変える53の方法 

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