見出し画像

人間失格。はい君失格だよ。失格。

太宰治作「人間失格」を読みました。

いわゆる純文学というものには、高校の現代文の授業で取り扱われていた、夏目漱石作「こころ」太宰治作「走れメロス」以外に触れてきませんでした。
しかしピエール瀧さんの逮捕をきっかけに、

「文豪と呼ばれるヒロポン中毒患者の作品はいかに、、、?」
とりあえず代表作だけ見ちゃうよぉ(ニチャァ)というのが動機です。
特にヒロポン中毒者だなぁ、と思わされるような部分はなく、ただ面白いなぁと思いながら読み終えました。

境界性人格障害のイケメンが、自分の繊細さとモテエピソードと罪悪感を感傷的に独白するよ。という本でした。
男の子ってタバコをふかしながら、センチメンタルな自分に酔いたい時があると思います。誰しも。そんな時にオススメです。

子供って案外、役を演じてたりするよねっていう部分と、
やるべきことから逃げる時、人はなぜか表現者になりたがるという部分、
女性って自分の感情に対して貪欲だよねっていう部分は、
なるほど人間のこういう部分は大きな共感を産むだろうなと思いました。

あの頃の自分小さかったけれど、こうやって子供を演じてたことってあるよなぁ、というエピソード、みなさん1つや2つくらいありますよね。

ちなみに僕は純真無垢で根元から明るい、なんの屈折もない人間なのでありません。
子供は無邪気、と言いますけれど、案外早い段階で無邪気でいることのメリットを知っていたりします。
寺田心くんのことをやたらと叩く大人って、寺田心くんの中に自分を見てしまっている人だと思います。
子供が子供を演じることに異物感を感じられる人って、経験者以外いないと思うんです。
それゆえ、寺田心くんを見ると共感性羞恥が強く働いて拒否反応が出るのではないでしょうか。
ちなみに僕は純真無垢で根元から明るい竹のように素直な人間なので、寺田心くんのことは純粋に可愛くて仕方がありません。

自分という存在はつくづく「人間失格」の対にいる存在だなと思います。
「人間失格」の対義語は「犬合格」
僕ってまさにその言葉通りの存在だよな、

ってミャンマーの野犬が言ってます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?