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Vtuberと魂、そして表現と評価

いたちね、小説家とか漫画家さんが、発表した作品の内容が原因で叩かれるのが好きじゃないのね。
作者と作品は別であって、作品が気に食わないなら作者ではなく作品を批判すれば良いじゃない〜! と常々思っているの🐹

もちろん、作者自身が不倫とかして叩かれるのは別よ? あくまで、作者の人格と表現物の評価は分離されるのが健全なありかたーーという主張ね。

ただし表現物の形態によっては、分離されにくいケースもあるわ。
わかりやすい例では、役者さん
ドラマで意地悪な役を演じてそれがヒットしたりすると、意地悪なのは演技であるにもかかわらず、そのイメージが定着してしまう事ってあるわよね。

もっと顕著な例は、アイドル
アイドルは歌ったり踊ったり表現活動をしているけれど、ファンの多くは表現内容を含めた表現者その人を好きになって推すわけです💕
こうなってくると表現者と表現物の境界があいまいで、アイドル自身が肉体と人格を持ったコンテンツであると言えなくもないかしら。

さて、いよいよ本題。
Vtuberという存在は、はたして表現者か、それとも表現物なのか。
……難しいわよね。
なにせ身体からして、誰かが作った2Dや3Dの表現物なんだし。まして本人とは別に、身体を描いたママや、動作環境を構築したパパが他に居る事も少なくない。カオスだわ💦

そんな存在が配信や動画で表現活動をしているのだから、これはアイドル以上に、批判やアンチの声がダイレクトな人格攻撃に繋がりやすいのよね。

せめてもの気休めは、顔出しじゃないから、本人特定されない限りはリセットができる点。
良くも悪くも、続けられないと思ったらいつでもやめられるの。
アイドルみたいに、辞めた後も面倒ごとに煩わされたりはしないわ。

本当なら漫画家と漫画のように、表現者と表現物を分離できるのが健全な関係だとは思う。
とは言えVtuber自身も、自らへの好意や厚意を表現への評価として受け止めている面も少なからずあるから、都合の良い時だけ「推すのは良いけど批判はダメ」なんて事も言いにくいよね。もう、構造上そうなってるんだから💦

いたちね、これを防止するヒントは、Vtuberの活動スタイルにあると思ってるよ🐹✨

熱愛報道されたアイドルにカミソリが送りつけられる事はあっても、恋愛アニメの当て馬ヒロインが視聴者から嫌がられせされる事はないわよね。
だって、非実在の人物なんだから。

Vtuberも、表現物としてのキャラクターと、中の人は別の人格ですよ〜! というスタイルを徹底している人の方が、そのお約束をわかった上で楽しめる視聴者さんが集まってくれているように見えるわ。

もっとも、Vtuberの活動スタイルは多種多様だから、すべてのVtuberにとって実現可能な方法ではないのだけれど。
あと、魂の人格も含めて容認されたりガチ恋されたりしたい系のVtuberにも向かないかもしれないわね〜💦

かく言ういたちも非実在の人物であるという事実を強調してはいないし、なんなら魂の比率が多めのブレンドだけど、あきらかなボイチェンを使ったバ美肉勢は、キャラクターと魂を混同されにくいのが強みだと思っているよ🐹✨

バ美肉って、お客さんも魂がおじさんだと理解した上で「可愛い😊」「たすかる🙏」「てぇてぇ💕」と囃し立ててくれている面が大きいしね。

これといって結論のある話にはならなかったけど、しいて言えば「バ美肉最高!」という事になるかしら…🐹💕

※参考:VTuberは4種類いる(外部note)

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