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シン・仮面ライダー感想 ※軽くネタバレあり

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#シン・仮面ライダー 全力disり感想※軽くネタバレあり

※息抜き投稿です。軽くネタバレあり。

しつこい諄い #シン仮面ライダー 全力disり感想。予想通り。オマージュはエヴァ関連以外つまりライダー関連は見逃さず全て認識したと思うけど素人マニアの和多志ならああいう表現はしない。浅い、説明し過ぎな部分と全く描かれていない部分の非均衡。CGじゃない実写のバイクアクションが少ない。演者さんは頑張っていた。これならシン・常用サイクロンへの思い入れよりも昭和常用サイクロンへの其れの方が圧倒的に勝る笑笑🤦‍♂️🤷‍♂️

漫画原作版と小説版仮面ライダー1971~73(2002第一部第二部~2009第三部完結)とTV版の設定をごちゃ混ぜな骨子にThe First/Nextをスパイス的にmixした印象。どういう風にしたかったのかは良くわかったけど、ふーん、それが何か⁉︎どうしたの⁉︎美味しいの⁉︎面白いの⁉︎、な感覚。

Habitatハビタ(生息場所、生息地、生育地、住居、住まい、生育環境)という亜空間エリアに肉体から抜き取った魂と生命エナジーであるプラーナを閉じ込めて肉体から派生発生する暴力を排除して皆が幸福になる事を目指すのがショッカーの狙い。←いや肉体が有る故の暴力や悩み苦しみこそが本当の幸福を見い出す為の砥石でしょ⁉️そしてムーンショット計画やavatarアバターの転用⁉️

プラーナは生命エナジーってのは合ってるけど過剰に取り込んでも闘争本能が暴走したりはしません。その解釈を本氣でしているのならまさにショッカーの面目躍如かな。プラーナってのは生物の動力でもあるけど愛のエナジーでもあるから映画の様な設定とはならないと思う。架空設定として敢えて使ったなら辻褄は合うけど惡意すら感じる。プラーナって言葉や概念をこんな風に使ってもらいたくなかった。生半可なアーユルヴェーダやスピリチュアル知識をオタクが解釈したらこうなるのか⁉️

ショッカーの洗脳を解くのにパリファライズ⁉︎ペリファライズというカタカナ横文字を使ったりショッカーSHOCKER Sustainable Happy Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling という正式名称を採用したりHabitatハビタという亜空間が出て来たりプラーナの概念が歪曲されていたりは、いわゆるSDGs?ロックダウン?オーバーシュート?ソーシャルディスタンス?等々のカタカナ横文字多用の昨今の風潮が反映されていたりは流行りに敏感なオシャレなつもりなダサい奴みたい笑笑。

スーパーマリオのゲームの様なCG空中戦は要らなかった。目にも止まらぬ早い動きよりも昭和のトランポリンジャンプアクションや宙返りの様なスローな弧を描くアクションが良かったのに。一応ジャンプ宙返りは片鱗はあったけど。

バイクアクションをもっと見せてもらいたかった。

The First/Next、Black Sun、アマゾンズのオマージュもぶち込んであるけど、シンよりもそっちの方が社会風刺は優れていたりグロ残虐シーンも先出しの方がインパクトがあった。

オタク監督の好きな設定をごちゃ混ぜにして垂れ流しただけの作品だったと思う。言っておこう、お見せしよう!オレ様ならば最大多数の賛辞よりも最少強烈熱烈支持の惨事を表現して見せると笑笑。

追記:

何度もdisる感想を投稿してますがほどほど面白く観てはいました心中ツッコミ入れまくりながら笑笑。若い視聴者や昭和の手作り感をリアルタイム体験していない人からすれば素晴らしい作品に見えるでしょう。でも和多志の様にリアルタイム派で映像に表現されていなくてもイメージ変換されて仮想スクリーンに映ったストーリーやアイデアは実際に映像化されてもMAXな感情移入や興奮や喝采には至らないって感覺を書いているのです。ひねくれて素直ではないと感じるでしょうが妄想や仮説を日常的に遊びまくっていて見たまんまではなく常にイメージ変換して仮想スクリーン映写している和多志からすれば、なーるほど、そう来たか⁉︎と冷静に鑑賞してしまうんです。庵野秀明監督は確かほぼタメなので、同じような背景で体験しているだろうし、負け惜しみに映るでしょうがクリエイターじゃない自分から見ても普通の解釈だなぁ…と、引き出しは似てるけど組み合わせ方や分類や表現は違う、特に常にマスク以外はコスチューム姿でそれを隠す為のトレンチコートという設定には想像力を奪う陳腐な発想だと思ってしまうんですよね。普段着からコスチュームに変わるから面白い、その変わる理由や仕組みの詳しい説明や描写など必要がないって感覺なんです。そういう理由で庵野秀明監督のアイデアを手放しで絶賛するほどではない、そういう解釈や表現は普通に当たり前でそれをドヤ顔されても…と感想を書いたのです。文字のみの小説を読んでイメージスクリーンに映写することが普通な世代である自分から見た感想でした。人によっては自分のイメージスクリーンを実写表現してもらえて感動する方もたくさんいらっしゃるようです。和多志はそうではなく白けてしまったって話です。和多志がテンション上がって鑑賞するであろう表現はこの映像ではないと感じてしまいました。もっとぶっ飛んだ発想、例えば藤岡弘、さんが撮影事故により負傷して撮影続行不可能になり佐々木剛さんの2号ライダーに一時的に主役交代して仮面ライダーというテレビ番組はお化けコンテンツになったけどif主役は藤岡弘、さんただ1人のまま続行していたら…とか怪我回復してダブルライダー回の後製作側はダブルライダー日本常駐を続行しようとしたが佐々木剛さんが主役を藤岡弘、さんに正式に返す為にその申し出を固辞して新1号編へと突入したがifダブルライダー日本常駐のストーリーで継続していたら…とかの、ストーリーと解釈と表現で意表を突き度胆を抜かれる作品を無いものねだりしていたのでしょう。他人様の感動に水を差す意図はありません。単なる1個人の感想です。ネタバレになるので詳細は書きませんが、あの結末もイメージスクリーンにあったパターンでした。本文にも書いたが藤岡弘、さんただ独人が仮面ライダーとして最後まで完走したifとダブルライダー常駐ifのストーリーならば見てみたいし興奮するだろう。ウルトラシリーズもマンとセブンありきで後々のシリーズまで発展継続したし、仮面ライダーは藤岡弘、さんの怪我による一時的降板と佐々木剛さんの2号による変身ブームによりシリーズとしての基盤を盤石のものとしたと思う。最も人気を獲得したV3も宮内洋さんが1号2号を研究して演技した結果であり、やはり1号2号無しでは成立しなかっただろう。生真面目でストイックで重苦しく暗い本郷猛と明るくチャラい打たれ弱い甘えん坊の暴れん坊の2号の対比も本來は1号を主役の主役にする演出だと後々理解したがリアルタイムでは少々不服であった。柔道一直線で既にファンになっていた佐々木剛さんの扱いが軽いと思ったからだが、それも佐々木剛さん自ら望んで演出された事だと後々知った。それでも現在の佐々木剛さんの扱いは功績に比して不当に軽いのは不服ではある。藤岡弘、さんの扱いは適切だと思う一方では。

追加其の貮

※まだやるんかぃ〜⁉︎と、言わず笑笑

本編には平和と錯覚して何も知らずに暮らす一般市民が出て来ない。回想シーンに出て来るのは主要キャラクターの家族と重要な事件の関係者のみ。操られた被害者は群衆として出て来るがその誰も個別には主人公との絡みは無い。一般市民との絡みがあるから人非ざる化け物に成った苦悩が生々しく描け、皮肉な事にその化け物の力で何も知らない一般市民を人知れず助ける事が出來る。勿論仮面ライダーといえばそもそもそういう孤独なヒーローの設定な事は一度も見た事が無い人でも知っている人は居るだろうからと其処は規定設定にして割愛したという推測は高確率で当たりだろう。だが申し訳ないが和多志は一番其処に違和感を感じてのめり込め無かったのだとようやっと氣付いた笑笑。これで終わりに出來るかなぁ…💦😅😂🤣🤦‍♂️🤷‍♂️🤪

追記其の參

※まだやるのかと笑わば笑え #シン仮面ライダー 感想

小ネタオマージュリスペクトをぶっ込み過ぎ
結果不自然な前後脈絡の無い唐突な展開が多い
ファンサービスと新しい表現解釈は理解するが
まとまりと抑揚が乏しくなった
キミスイ小ネタ入れるくらいなら他に掘り下げるべき
テーマがあった筈

和多志にとって #仮面ライダー #昭和初代 は個人的に
バイブル的存在であり陰謀論、スピリチュアル、生き方価値観、魂記憶生まれた意味を思い出す重要な触媒撃鉄のひとつであり、其処の解釈表現が庵野秀明監督とは全く感覺が違う。

リアルに寄せる部分とファンタジーに寄せる部分のバランスが惡い。

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