余命

なんとなくシリアスな題をつけてしまったがそんなに深刻なことを書くつもりはない。卒業論文を提出し終えたので、あとは今月末に控えた期末試験によって残り数単位を獲得すれば晴れて大学卒業ということであるけど、無事に卒業できるとすれば僕自身の「学生」としての余命は残り3ヶ月もない。入学当初は無限の時間に思われた4年間もまさに光陰矢の如く、終わってしまうらしい。小学校の6年間、中学校3年、高校3年、大学4年。合わせて16年ものあいだ学生という身分に守られてきたけど、これからは何らかの手段によって自ら価値を生み出してそれをマネーと交換して暮らしていかなければならない。マジで人生は短い。正月、地元に帰ると僕より60歳年上の祖父は足を悪くして階段の上り下りにすら苦労しているようだった。お前も適当にいい女捕まえて結婚しろよ。馬鹿言ってんじゃないよと思ったが全く別世界のことのように思える結婚というトピックも、そのうちもはや無関係ではなくなってくるらしい。僕に結婚という制度をレコメンドしてくれた母方の祖父は足以外は元気だが、父方の祖父は4年前に79歳で死んだ。とにかく2人をサンプルとするならば、その2人の遺伝子を継承している僕も順当にいけば80歳前後で古傷が痛んでうまく歩けなくなったり、死んだりするだろう。つまり元気に歩き回ったり明日のことを考えたりできる時間は限られている。当たり前だけど。生きてるときの半分以上は必死だから意外と気付けないし、気付かないフリをしてしまう。けどマジで人生は短い。残りの人生全部使ってもSpotifyの音楽は聴き尽くせないし、大学図書館の本を読みきることはできない。やっぱ大なり小なり取捨選択が必要である。全部は無理だから。夢中と惰性を意識したい。嫌なことはしたくない、好きなことでも大変なのに。そんなことを考えていたら、余命2ヶ月半となった京都生活が愛おしくなって、今まで素通りしてたパン屋に入ってみたりしてしまうのである。パンおいしい。いい人生にしようなー

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