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【私が求めてきたもの】


 私は北関東の外れの小さな田舎町で、三男としてこの世に生を受けました。しかし、どうも歓迎されて出てきのではないようなのです。
    両親は女の子が欲しくて『四十の恥かきっ子』にあえて挑戦したのですが、出てきてしまったのが私でした。
 男の子ばかりで手を焼いていた母がたまに口にする
「おまえが女の子だったら」
と言う言葉 に、私は幼心に
「僕は、生まれてこない方が」
 なんて思ったこともありました。

 まぁしかし、末っ子だったからかなり可愛がられていた様に思います。そして10歳以上も年齢差のある兄達とは喧嘩もせず、たくさん面倒を見てもらっていた記憶があります。

 とりあえず、産んでくれた両親とオムツの頃からずっと、世話をしてくれた兄達には感謝をしています。

 そんな私も幼稚園に入り、元気にやんちゃをしていたある日、私にとって衝撃的な事件が起きました。いまでもハッキリと覚えています。
 自分のいままで知らなかった生き物が、こんな近くにいたことを知る事件でした。

 それはある日突然知らされました。
 幼稚園でお遊戯の練習の時
「二列にお並びしたら、お隣のお友達と手を繋いでくださーい」
 先生の言葉に、私はいつも隣のまんまるお顔のちえみちゃんと、いつも通りに手を繋ぎました。 そう、いつも通りに、、、

 しかしその日は違っていて、いつも通りではなかったのです。
 ちえみちゃんの手がとても柔らかくて、ぽちゃぽちゃしてて、とても気持ちよくて、この手を離したくないと思いました。
 そして、ちえみちゃんの笑顔はいつもより増して、ひまわりのように輝いて見えました。
 初めての感覚で、その時(僕とちえみちゃんは違う)ことを知ったのです。

 母は高齢での出産だったので、私を産んでから急に身体が弱くなり、私を抱っこすることはあまりありませんでした。いつも、一番上の兄に抱っこや、おんぶをしてもらっていた記憶があります。
 今思えばこの日のちえみちゃんの手に、いままで意識したことの無い別性の存在を知り、そしてその別性である女性の柔らかさと、まぁるさに、母性を感じたのだと思います。

 この日から私のなかの女性像は《まぁるくて、柔らかい、》になり、生涯追い求めるものとなりました。

 そして三十年たった今、リビングでこうしてスマホをいじっている私の目の前で、韓流アイドルのDVDに、目を輝かしている人がいます。

 その人は見事なまでに、
 まぁるく、、、
 ぽちゃぽちゃ、、、

 いやっ!最近は、
 ぷよぷよ、、、
 ぷくぷく、、、
 
 とにかく角など全くない曲線と、とてつもない弾力のある柔らかさを備えているに間違いありません。

『まぁるく、柔らかい』私の求めてきた集大成であるその人がカントリーマァムを頬張り鎮座しています。

 まぁるく、柔らかい、これもほどがありますが、そんな妻にはいつまでも健康で元気にいて欲しいと願う、今日この頃の私なのであります。

          〜おわり〜

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