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やさしさにつつまれたなら

やさしさにほっとすることがある。自分が考えているよりもずっと世の中はやさしくて、もうどうしようもないとあきらめかけたときも、結局は何かしらのやさしさで生かされているような気がする。

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というわけで、ふわっとやさしいティシュー。家のすぐ近くにあるコンビニでトイレットペーパーや箱ティシューが商品棚に並びはじめ、ものすごく便利になりました。大きなものをわざわざ遠いドラッグストアやスーパーマーケットからえっちらおっちら運んでくることを考えると、数十円高いだけで家のすぐ近くで買えるのだから、本当にやさしい。

コンビニがやさしい。

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おっ、何となくnoteっぽいかもしれない。

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ふわっとやさしいティシューに言いたいことがないわけではない。

というより、ティシューに言いたいことがある。

なぜ、ティシューなのかと。懇々と問いただしたい。

ティッシュだとずっと思っていた。少なくとも高校生までは。社会人になっても、うっかり気を抜くとティッシュだと思ってしまう。ティシューってどうなんだろう、それでみんな満足なんだろうか。ダメだと思う。もっと頑張らないと。ティッシュにならないと。

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実家の近くに特別養護老人ホームがあります。

施設の名前は「ハーモニー」なのですが、看板には「ハーモニィー」と書かれています。誰も「ィ」がいらないことに気がつかなかったのでしょうか、それとも、いらないことはわかっていたけれど、あえて「ィ」はいらないって言わなかったのか。やさしすぎることも時には残酷だ。「ハーモニィー」の看板を見るたびに、ちょっともんにょりしてしまいます。