スタートライン 19(小説)

 初日の感動のおかげで、当初の予定通り二日間ボランティアイベントをやりきった。結局最後まで小田からスタッフについての説明を受ける事はなく終わった。言おうと思ったが、もう一つの事実を知って言う気が失せた。
 それは何かというと、このボランティアイベントの収支についてだ。
 今回、プロのインストラクターや学生サークルの大学生たちは完全ボランティアで参加している。交通費も自己負担だ。伊豆の近くに住んでいればそこまでかからないかもしれないが、東京や僕みたいな関西からの人はそれなりにお金がかかっている。勿論、それは承知の上で来ているから問題はなかったが、事実を知ったらそれは違ってくる。
 このイベントは参加家族からお金をもらい、クラウドファンディングでイベント開催費用も事前に募っていた。必要経費はやはり少なからずかかるのでこれ自体に違和感は覚えなかった。利益がもし出たら交通費のみんなの足しになるようにわずかだが渡すと言われていたが、特に期待はせず忘れていた。だが、詳細を知って驚いた。
 かなりの額の利益が出ていたのだ。プロなので、教えられていなくともどれくらいの費用がかかったかなんて簡単に予想出来てしまう。それに対して、家族から集めた金額とクラウドファンディングで集めたお金のほうが随分と大きい事を同行したスタッフに言われた。
 初日の感動と高木さんの言葉がなければ、ここでハンディキャップダイビングをやめていただろう。きっと、これまでにも僕と同じ様にハンディキャップダイビングを店でやろうとした人は少なからずいたのだろうが、こういう事がきっとあったのだろう。確かに、真剣に取り組むのがバカらしくなる。スタッフを引き抜かれ、イベントで向こうは利益を大きくあげるが、こっちはタダ働きをするのだから。腐っている。腐りきっている。この現状にも怒りが向いた。しかし、怒っただけでは意味がない。もう本人には何も言わない。指摘した所で改めはしないだろうし、反省なんてしないだろう。それに良い人生を送って欲しいとも思わないから、これ以上関わらないだけでいいと、帰りの車内で決意した。勿論交通費の話は出なかった。元々求めてもいないからいいが、そのボランティアイベントと名乗る企画に今後一切関わらない事も決めた。
 何故ボランティアイベントと発信していたのだろう?ボランティアイベントと言わなかったらいいのに。僕もハンディキャップダイビングを仕事として行うので、きちんと利益を得てするつもりだ。事業として行っていいものだから、普通にイベントとして開催すればいいものを、わざわざボランティアイベントと書くのに疑問を持った。まあ、手伝ってくれるプロや学生に賃金を渡したくないのだろう。真意はわからないが、もうわかりたくもない。
 腐った世界だ。
 このままでいいのか?
 脳裏に子供の笑顔と高木さんの言葉が浮かぶ。
 イヤ、自分は嫌だ。このままにしたくない。けど、おそらく誰もしないだろうし、他の誰かが改善させるのを期待しても望みは薄い。実施している店が少なすぎる。けど、このままにはしたくない。
 よし、腹をくくるか。
 なんとなくやり始めたハンディキャップダイビングだが、自分がやれるだけの事をやって広めてみようじゃないか。それで無理かもしれないが、まだそれはわからないはずだ。
 考えるだけじゃなく、今思いつく限りの出来る事を実践したら、すぐには無理かもしれないけど、夢や目標に今より近づけると思っている。
 アイディアに価値はない。情報は既に溢れている。思いつくアイディアは既にいろんな人が思いついている。実現していない場合、実現されなかった理由があるし、実践しても失敗した理由がある。行動しないと価値がない。アイディアだけは歴史にも残らない。

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