アサノヒカリ

ヒハマタノボリクリカエスという僕が書いた小説の続編になります。

ヒハマタノボリクリカエス|真木崇志 @RIZEMaki0806|note(ノート)https://note.mu/maki0806/n/necda29e2bb9e

文字数は43066になります。

 私は逃げている。誰から?森、緑、空、青と色々な景色が視界に入ってくる。走っている自分が見える。後ろをたまに振り返り、そして急ぐ。息がきれる。しんどい、きつい、もう立ち止りたかったけど、やめる訳にはいかない。力を振り絞り、足を前へ前へと突き動かす。私は逃げている。捕まったら死だ。私はまだ死にたくない。絶対に死にたくない。死ぬのは怖い。怖い。怖い。嫌だ。嫌だ。

 目を開けると、そこは森ではなかった。白い壁があると思ったら、そこは天井であった。私は森にはいなかった。森の中を走っていたのは、夢であった様だ。深く息を吐き出し、そして続けて大きく空気を食らう。まるで蘇ったかのように、呼吸が出来る事を確認する。
 上半身を起こした。背中が汗で濡れている。自分の体に何も見につけていないので、乳房があらわになったが気にせず横を向いた。横を向くと男が眠っていた。幸せそうな顏。金色の髪をした男。私がただ一人心を許している人間。起こさない様に、ゆっくりとベッドから抜け、冷蔵庫がある部屋の角まで向かった。冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出し、少し口にふくんだ。喉の渇きが満たされ、改めて現実を見た。ピンク色ばかりの部屋。寝ている彼氏。素っ裸の自分。全身が映る鏡に自分を映した。生気のない顔と、白い肌。日頃の欠かせないケアの上で成り立っている長い髪と、親からもらった好きでも嫌いでもない顔。顏について貶されるより褒められる方が圧倒的に多いけれども、ちっとも納得などしていなかった。もっとかわいく生まれたかった。もっと目が大きかったら良かったのに。そういう願望はきりがなかった。どうして私はこの顏で生まれたのだろう。どうして私は私なのだろう。これも運命なのだろうか。
 放置された茶色の鞄をまさぐり、小さなかわいいケースを手にした。蓋を開けると、赤い薬が入っていた。これで、もう残りは三個になってしまう。明日、明後日は病院が休みになっているが、週明けに行けば間に合う、大丈夫と自分に言い聞かし、封を開けてその薬を体内に入れた。それを待っていた胃、脳はすぐに反応した。ぼんやりとした現実が、はっきりとしたものになった気がした。
 私は生きている。私は生きている。けれども、それだけだ。生きてはいるが、少しも心は満たされていなかった。年は十八になった。学校は高校一年で行くのをやめた。その時も生きている気はしなかった。思えば、小学生の頃からそうだったのかもしれない。学校をやめ、都会で生きる事にした。地元に未練はない。したい事は特になかったが、生きるにはお金が必要だった。最初はメイド喫茶。働く理由は制服がかわいかったからという所は自分も今時の女であったのだろうか。メイド喫茶はつまらなくなかったが、楽しくもなかった。ただただ時間だけが過ぎ、私は笑顔を作りながら心は別の世界にいた。そんな私が夜の世界に浸るのも運命だったのだろうか。
 そこに寝ているのは、ジュンヤ。彼氏彼女という間柄だが、先程飲んだ薬に関しては知らせていない。彼は、夜の世界の人間だが、私の心の闇を知るときっと私から離れていくだろう。だから、絶対に本当の自分は晒せない。私の両親は健在だが、ジュンヤの家に転がり込んでから帰っていない子供に電話の一つもよこさない人間だった。友達と呼べる人間もいない。私にはジュンヤだけが心の拠り所。その場所がなくなるというのは絶望を意味している。
 携帯で時間を確認する。まだ出勤するまで余裕がある。
 さて、何をしようか。雑誌を読む。携帯で客に営業メールを送る。ご飯を作る。ジュンヤを起こす。テレビを見る。音楽を聴く。どれもやる気になれない。時間を見たついでに、携帯に送られてきているメールを見る。まだ中身を読んでいないメールが四十件。その件数だけで読む気が削がれる。どうせ、大半が客からなのもわかっている。好きだよ、かわいいねといった内容が溢れている。そういうメールに返事をするのには、まだ気力がない。普通の世間話や、愛だ、恋だといった話題じゃないメールは素の時でも返せるが、自分の事を一人の人間としてではなく、メスとしか見ようとしない、見られない人とのコミュニケーションはひどく疲れる。それがメールだとしても同じだった。確かに、キャバクラで働いて、そこに来る客はそういう事を求めていて当然なのかもしれないけど、メスとしか見られない人間ばかりと接するのは、私にとって非常に神経を削る事になっていた。その中において、一人の人間として好意を持って店に来てくれる人がいかに貴重であるか知った。そういう人はいつも優先的に返信もしている。この先子供が生まれて、子供が大人になってキャバクラ通いをする年になったら、こういう人になれと言いたい。上から順番に読んでいくと、客からじゃないメールもあった。仕事仲間のアイからだった。アイというのは源氏名で、本名は知らなかった。普通、本名では夜の世界で働かないので、きっと本名は別の名前なのだろう。本名も知らないが、まだ職場の人間の中ではよくご飯に行ったりする存在だった。五十人程いる同僚の誰とも仲良くなりたいと思った事はなく、拒絶していたが、アイだけは違った。こちらが拒絶しても、何度も何度も私の心の領域に踏み入れようとしてきた。今では断るのもあきらめ、ご飯に一緒に行ったりしている。アイからのメールはわかりやすかった。ただ、「ご飯行こう」とだけあった。絵文字や長文が好きじゃないと言っていないが、いつもアイは絵文字も使わず、一行だけで送ってくる。そして、そんなメールに「いいよ」とだけ返す。客のメールは無視して、出かける準備をする。服を着て、メイクをしている間にアイからどこに集合するかというメールが届くはずだ。化粧を施し、外用の自分を作り上げていく。いつからだろう、もう今は化粧なしでは外を歩けない。

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