スタートライン 16(小説)

 もうすぐ目的地だ。7時間ちょっとか。大阪から車を走らせ、僕達は伊豆の海に向かっていた。伊豆の海でダイビングをするのは久しぶりであった。ハンディキャップダイビングの講習で高木さんと潜って以来だ。数ヶ月前に見た景色を抜け、そろそろ着く。今回はボランティアイベントに参加する為に来ていた。それは、ハンディのある子どもとその家族に海遊びを体験してもうという内容になっている。ダイビング以外にも、サップやシュノーケルなど、重い障がいがある子どもも海で遊べるように企画されていた。
 立案した男に誘われ、そのイベントに賛同したので、完全にボランティアとして参加する事にした。子供が特別好きとかではなかったが、障がいがあると海に触れあう機会がなかったり、その家族も海から遠ざかってしまうと聞いて、それならば自分に出来る事があるのなら、喜んで行きますと伝えた。
 ボランティア活動は実はこれが初めての体験で、ワクワクもしていた。企画に賛同したインストラクターは10人程度いるみたいだが、皆完全ボランティアとして二日間来ている。それも僕の中で参加した理由だ。皆ボランティアて利益を求めていない事も気持ちが良かった。そして今回も前回同行された記者も入っていた。また新聞に掲載されるみたいだ。前回取材された時は各地方新聞に自分も載ったが、今回はもういいかな。主役は子供たちだ。

 ダイビング施設の駐車場に車を停め、建物へと三人で歩いて向かった。
 そして、すぐに僕は予想だにしない人間を見つけた。そいつはそこにスタッフTシャツを着て立っていた。まさか、の男だ。数ヵ月前に僕の会社を退職した元スタッフだ。そいつもすぐに僕に気がつき、気まずそうに軽く会釈をした。
 え?なんで?どうしてここに居るの?何?もうこの業界を去るんじゃなかったのか?最後に交わした言葉が甦り、僕の心が乱れた。
 同行したスタッフに目をやるが、驚いた様子はない。そうか、知らなかったのは自分だけか。さすがに鈍い自分でもわかる。
「久しぶり、ビックリしたわ」
「お久しぶりです」
「また会うとは思わなかったわ。今日はどうしてここに来てるの?」
 素朴な疑問だ。
「あ、いや、きょ、今日はですね、イベントがあると聞いてですね」
 明らかに動揺している。何故そこまで動揺しているのだろう?驚きはしたが、僕が来る事を知らなかったのだろうか?
「ふーん、そうか。仕事は見つかったの?何してるの?」
 話の流れで聞いた。そしたらこれもまさかという答えが続いた。
「実は、声をかけてもらって、こちらで来月から働かせていただく事になりました」 
 その後にまだ話していたが、怒りで頭に入らなかった。そんな訳ない。在籍中に引き抜かれたのだ。なんて奴だ。それを今日の今まで知らなかったのはどうやら自分だけだろう。
 俺はとんだ間抜けだ。
 いつ引き抜きの話があったのだろう?視察として行った時か?最後までばれないとあいつは思っていたのだろうか。なんて人間だ。全て知った上で、前回も普通に接してきていたのか。どれだけ俺は人がいいのだろう。どれだけ舐められているのだろう。          
 一気にイベントとハンディキャップダイビングへの熱意が冷めていくのを覚えた。

 

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