チュートリアル徳井さんが透明人間になったけど、僕らにもありえる話

チュートリアル徳井さんが透明人間になったけど、僕らにもありえる話

 

テレビの編集ってすごい。しゃべくり007放送していたけど、出演しているチュートリアル徳井さんがほぼ画面に映っていなかった。透明人間になっていた。怖い。

 

けどこれは僕らにもありえる話だ。

Facebookの世界では、もうすべての友達の投稿が表示されなくなっている。関連性がうすいとシステムに判断されると、みんなのタイムラインに上がらなくなっている。数年後だと思っていたけど、もうすでに透明人間になってしまった人がいるという事。Twitterやインスタの世界もそうなるのかな?

 

みんな見ているし、見られてる

いいねがないから誰にも見られていないと思っても、インプレッションを見たら、誰かに見られているのわかると思う。どうせ誰も見ていないと思っても、見られている。なぜ反応されないのか?と自己分析すると気づきがある。SNS は簡単に透明人間をつくる。

 

Twitter、フィルターをかけると、心地よくなった。見たくない人のからみを知らずに済む。この機能が進化すると、さらに心地よくなるけど、そういう人はどこで生きるのだろう。フィルターをかけると、僕にとって見たくないその相手は透明になる。どんどんこの機能、向上していくんだろうな。その先はどんな未来があるのだろう?すでに社会では、そういう人たちは透明な存在になっているから、ネットの世界で居場所を作ろうとしているのかな???そして、気づいてないだけで、自分もいろんな人に同じようにあまり表示されないようにされているかもしれない。まさしく、透明人間。自分だけ気づいていない状態。発信すればするほど、内容によってはそうなる可能性がある。発信すればするほどプラスという訳ではない。

 

 

透明人間は実在する。誰の視界にも入らない、誰も気にしていない、誰の耳にも届かない、透明人間だ。話せば話す程、透明な存在になっていく。透明人間だ。リアルな世界でも透明人間なのだろうか。そうだとしたら、ネットの世界で透明人間になってしまったら、どこで生きたらいいんだろう。

 

チュートリアル徳井さんが透明人間になったけど、僕らにもありえる話だ。

 

透明人間にはなりたくない。

例えば、肯定されるのって嬉しい。だからぼくも大切な人たちは極力肯定したい。肯定していることを伝えたい。楽しかったから、覚えておきたいから、ここに書く。生きるとは、覚えること、覚えていること。だからもし僕が死んでも、心はずっと生きている気がする。あ、まだまだ死なないけどね。

 

誕生日、沢山『おめでとう』と言われると嬉しい。おめでとうっていい言葉。生まれてきた事を肯定されているかんじがする。

 

透明人間になりたくないし、させたくない

 

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