幸運なき世界


文響社というすてきな出版社があって、私はそこの本がとても好きなのだけど、なかでも『+1cm』という本が好きで、ベッドサイドの本棚に入れている。眠れない夜、手にとって開くために。

そのなかの「ポジティブ理論」というページに下記のような文言がある。

1.
良いことを予想してて 良いことがあったとき
良いことを予想してて 悪いことがあったとき
2.
悪いことを予想してて 良いことがあったとき
悪いことを予想してて 悪いことがあったとき

このうち、楽しい気分になるのはいつだろう?
1.では3回
2.ではたった1回だ。

(中略)期待がハズレたときにがっかりするのが怖くて
はじめからネガティブに考えてたら
失望も少ないだろうなんて思って。

ポジティブに考えてるときの
胸のときめき、ワクワクする感覚
それ自体の楽しさを見落としてはいない?

さて、先日お便りをいただいた。私が書籍で書いた占いに「幸運期」という文言があったのに、期待したようなことが起こらずがっかりしたという。はずれたと感じられたわけで、本当に申し訳なく思う。何より心苦しかったのは、その方が「こんな思いをするなら、そもそも幸運期なんて言葉を使わないでほしい」と書いておられたことだ。その方も、本気で使うなと言いたいわけではないのだろう。ただただ、がっかりして傷ついて、心に真っ黒いものを抱えてしまって、そう書かずにはいられなかったのだ。本当は優しい方なのだろう、でもそんなにも心を損なってしまったことが、ただただ申し訳なく、消え入りたい気持ちになった。

幸運期という言葉は、占いを書く人のあいだでは慎重な扱いがなされていることが多い。オリジナルの呼び方をしたり、敢えてチャンスと言い換えたりしている人もおられる。私自身も「待っているだけで幸運が降り注ぐという意味合いではない、自分から行動を起こすことが大事」と都度書いてはいる。それでも、人は期待するのだ。幸運というものに。私もその言葉にすがるようにして苦境を乗り切ったことがあるから、お気持ちは理解できる。

そんなにも強く人を損なうならば、幸運という言葉を排除すべきなのだろうか?

何日も考え続けるなか、『+1cm』の「ポジティブ理論」が目にとまった。なるほどと思った。1回よりは3回のほうを、占い師としては提供したい。そのほうが、運は良くなりやすいからだ。実に共感した。

とはいえ、回数だけの問題ではないのだろう。行動経済学で証明されているように、人は利益よりも損失のほうを大きく受け止める。「いいことがあった」よりも「悪いことがあった」のほうが、ショックもその分、深く感じるだろう。さらには、一度希望を持ったのにダメだったというのは、マイナスの下げ幅も大きいのだ。世界に繰り返し傷つけられてきた人なら、なおさら。

希望がなければ、人は死んでしまう。これは私の心理学の恩師が言っていた言葉で、私はそれを胸に、人がそれぞれにできる範囲で希望を持てるようにずっと頑張ってきたつもりだった。しかし、私が希望を持とうと呼びかけたことは、ただ残酷なことにすぎなかったのだろうか。傲慢な自己満足にすぎなかったのだろうか。

それでも、と思う。私が書くものをひとつの世界として考えたとき、幸運なき世界というものは、果たして幸せなのだろうか。

答えはまだ出ていない。幸運なき世界、幸運なき世界。その言葉だけが、私のなかでずっとループしている。白黒はっきりつけるのがベストだとは思わない。むしろ占い師として、物書きとしてやっていくためには、悩み続けよりよい表現を模索し続けることが、大事なことのようにも思えている。

幸運なき世界について考えさせてくれたこの方には、心からお詫び申し上げたい。そして心からの感謝も、同時に申し上げたいと思っている。傷つけてしまってごめんなさい。そのことを私に教えてくださって、ありがとうございました。


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真木あかり

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