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ときめきは消えても

ときめきを間違えた。早すぎたのである。

平成最後のソメイヨシノはしだいに緑を濃くし、わずかに残る花も吹き抜ける春先の強風に煽られ空に消えていく。ざあっと梢を鳴らす風に髪を押さえて散り際を見ていると、そんな思いが胸をかすめた。といっても色気のある話ではなく、先週スプリングコートを処分したことを後悔したのだ。こんまりさんの『人生がときめく片付けの魔法』を改めて読み、「もうときめきを感じない」と手放したもののひとつが長く着慣れたネイビーのスプリングコートだった。春の風は容赦なく身体を冷やし、ときめきを判断するタイミングを誤ったことを痛感させられた。

年齢を重ねるごとに、所有するものの数はどんどん減ってきた。絶対に持っていたいものといえば本と香水、仕事道具のMacBookAirくらい。タロットカードはオーソドックスなウェイト版。鞄や服は好きなものが必要な分あればいいし、アクセサリーあつめの趣味もない。腕時計はひとつだけ、家電も最小限しか持たない。

物書きだからと大事にしていたLAMYの万年筆は、一昨年死のうとしたとき知人にあげてしまった。極限の精神状態のなか、気づいてしまったのだ。自分が物書きとしてときめいていたというより、物書き気取りをしてときめいていたことに。恥ずかしくて、消えてしまいたい気持ちに拍車をかけた。下手ながら熱心に練習したバイオリンは今はもう遠く離れた場所にあって、取りにいくこともないのだろう。これもまた、ときめきの大半を占めたのは自分ではない。バイオリン弾きの当時の恋人からの関心をかいたい、その一心だった。そうしたときめきだって間違いではない、自分のときめきにすればいい。ただ当時の私はそこに至れなかった。ただ、ときめきを間違えていたのだ。

一方で、一度は手放したものの買い直したものもある。真っ白な月兎印のポットや、群舞する蝶のかたちのピアスのように。

私はときどき、ときめきを間違えてしまう。筋違いのときめき方をしたり、ときめかないと判断するタイミングが早すぎたり遅すぎたり。だからといって、手に入れたことも手放す時期を間違えたことも過ちだったとは思わない。ときめいたあの日のこと、ときめきを維持できなかった/しなかった理由、手放してから痛切に悔やむこと。どれもが、これから自分が本当に必要とするものを選ぶレッスンなのだと思う。

人は変わる。成長もする。そのなかでときめくことも、手放すことも、できるだけ誤らないようにと自分に願う。そしてできれば、今とこれからときめくものは、ずっと大切にできますように。ものに対する扱いは、人や人生に対する扱いとつながってくるのだから。

小さくくしゃみをして、桜をあとにする。後ろから煽るように風が吹く、まるで私も花びらの一片になったような、気分になる。



2019年上半期の占いが本になりました。


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