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ひとを赦す、という30年の物語で私は救われる。映画『We are X』

『We are X』を観に行った。かれこれ四半世紀もXファンでいることに(そして自分がそんなにトシをとったことにw)我ながらびっくりだが、この映画でここまで救われることになるとは思わずそれも驚いた。結成から30年にわたる光と陰、そして壮大なる「赦し」の物語だった、と私は感じている。

脱退したTAIJI。YOSHIKIは彼を解雇した理由を語らなかった。亡くなったHIDE。YOSHIKIは首のストレッチをしていたのだと主張した。すべてを見守るPATAのやさしい目、あくまで主張しすぎないHEATHとSUGIZO。何よりも幼稚園時代からYOSHIKIともに過ごしていたボーカルのTOSHI。洗脳という言葉は、正直いって今の彼らにはタブーであると思っていた。しかし物語の序盤からわりとカジュアルに語られるのだよね。当時の、今の彼らが“おかしくなっていた”と言うフィルムも流された。でも、新しく撮られたフィルムの中で談笑するYOSHIKIとTOSHIが語るのは少年時代の思い出なのだよね。Xができるずうっと前の。TOSHIが人間性を侮辱されたあの言葉が出てこなくて、本当によかった。Xを好きな誰もにとって、あれは悲しすぎる言葉だから。そして、もういないTAIJIやHIDEの尊厳が守られて、ほんとうによかった。彼らがあれこれと詮索されることは、悲しすぎることだから。これらはYOSHIKIの優しさによって、徹底的に守られていたのだと思う。ファンはそれによって守られる。センセーショナルな切り口を作って、人々の興味を煽ることはいくらでもできたと思う。でも、どこまでも正直で優しく、張り詰めるような気遣いに満ちたストーリーだった。

成功という光の反対側に、抗うすべもなくできた闇は本当にしんどかったと思う。想像するだに胸が詰まる。でも、こうしたことを乗り越えて今があって、日本だけでなくアメリカでも「We are X」と叫んでいる人がいる。私は本当に嬉しかった。

たくさんの人を赦しながら、YOSHIKIは人生をかけて、自殺したお父さんを赦したのだろうな。その旅はまだ続いているのかもしれないけれど。目先の感情に振り回された日もあったのだろう、それでもどう自分の人生を生きるか。どう、自分を取り巻くひとたちの思いに応えるか。死や心の傷と向き合ってきたYOSHIKIだからできる、ほんとうの優しさに満ちている作品だと思った。

激しい作品だった、メロディーも内容も。それでも私は確かに癒やしを得た。闇の真ん中に立ち尽くしているような日々が続いていたけれども、おのれのベストを尽くして、彼が言うとおり死ぬ間際に「やることはやった」と言えるように生きていきたいと思えた。ありがとう。ファンでよかった。X Japanというバンドが存在してくれて、同じ時代に生きることができて、ほんとうによかった。「We are X」と、Xをとりまく人たちのなかに私を入れてくれてありがとう。私は人を赦せるだろうか。赦したいと思う。

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