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ときどきびっくりするほど、人は見てくれていることがある。

『人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない』という本を読んだ。幻冬舎社長の見城徹さんと、サイバーエージェント社長の藤田晋さんが書いた本だ。この言葉は見城さんのもので、自己評価の難しさと努力を継続することの必要性を説いている。人は弱く、努力しても報われないとむなしくなる。誰かに努力をわかってほしいし、そのことに過剰な期待を抱くものだ。でもその期待は往々にして裏切られ――自分が期待するほど人は見てくれていない――もう努力なんてやめてしまおうかと考える。しかしそこでやめたらすべてが終わる。「がっかりするほど見ていなくはない」という現実に立ち戻れば心は安定しやすく、頑張り続けることができる。見城さんはそのように、力強く語るのだ。

会社員だった頃、私は社内のアワードといったものにまるで無縁だった。クリエイティブ系の賞は何度か受賞したが、それは単に面白いものを作っていただけの話。頑張った人が評価されるMVPなどは見事に総スカンだった。私はよく訓練された社畜だったので(笑)社員総会のあとは毎回、本当にむなしく悲しい気持ちになった。誰も見てくれていないのかなあ。頑張ったんだけどなあ。まあ今から思えば、もっと頑張った人がたくさんいたというだけの話。自己評価の愚かさがよくわかる思い出である。

月日は流れて占い師になって(どこがどうなってそうなったんだよ!とよく突っ込まれるのだけどw)も、確かに人は自分が期待するほど自分を見てくれていないと思っていた。もっと頑張らなければいけないと我が身がむなしくなった夜は数えきれない。黒く干からびた虫のような気分になって、有名占い師さんのブログを検索してずっと見ていたこともあった。くさった虫のような気分になって漫画ばかり読んでいたこともあった。(虫に失礼)

でも、がっかりするほど見ていなくはないのだよね。これを書いているのは2017年1月末なのだけど、この1月は繰り返し繰り返し、それを実感させる出来事があった。久しぶりに顔を合わせた人が「俺さー、占いとか信じないけどオマエのだけは毎月読んでるよ」と言ってくれたり、友達が「何気なく占いを見ていたら真木あかりって書いてあってびっくりしたw」と報告をくれたりする。うおっと思うような方がお仕事の依頼をくださったりもする。年間占いを友達にシェアしたり、ブログで書いてくれたりした人もいた。記事や占いの連載、ブログなどをご覧になって個人鑑定のご依頼をくださる方も、驚くほど多かった。嬉しい感想・報告コメントもたくさんいただいた。Facebookの「いいね!」やnoteの「スキ」Twitterの♡、ひとつひとつがすごく嬉しかった。いろいろなことがありがたくて、何度か泣いた。

思えばこの1ヶ月は「人はがっかりするほど見ていなくはない」が積み重なって「びっくりするほど見てくれていたんだな!!」に、ぽこんと閾値を超えた月だったと思う。これは自己評価だけでは得られない気持ちであって、すべて周囲の人やネットを介してつながっている人がすべてもたらしてくれたこと。感謝の気持ちといったらもう言葉に尽くしきれない、と思ったらまた涙目になってしもうた。トシをとると涙もろくなるものだが、これはトシのせいではなく嬉し泣きが100%だと断じて思う。ありがとうございます。

きっとこれからも、私はいろんな「がっかり」を経験するのだろう。でも、こつこつと努力を積み重ねていれば、どこかで閾値を超えて「びっくり」になる日が来るのかもしれない。それはきっと、期待して見てもらったときよりも何倍の嬉しいことのはず。だから、あまりくさった虫のようにならず努力を積み重ねていこう、と思った新月の日なんである。

Twitterでは毎日、ホロスコープを読んでその日の「ことば」をご紹介しています。「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」もそのひとつでした。

ブログでは新月や満月、天体の大きめの動きなどがあったときに運勢を読んでいます。2017年の年間占いもご覧いただけます。このnoteでも載せているけど遡るのが面倒な方はブログからどうぞ。

個人鑑定はこちらで承っております。鑑定にあたり不安なことがありましたら、事前にお問い合わせくださいね。安心してご依頼いただけるよう、私も努力いたします。

お読みいただきありがとうございます。お気持ちもお金も大切に預からせていただき、寄付させていただくつもりでおります。