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メッセンジャー

「あのときのことを謝りたいの」

仕事中にメッセンジャーが立ち上がった。これは1年ぶり3度めだ。ちなみに“あのとき”とは数年前のことで、その出来事に当時の私はたいそう傷ついた。しかしもう終わった話であり、私はとっくの昔に気持ちを立て直し、会ったこともないその人のことを普段、かけらほども思い出すことはない。それでも年に1回くらい、忘れた頃に連絡してくる彼女は「自分も辛かった」と語り、関係者の愚痴を言い、当時のことを詫びるのだった。

「もう気にしていませんから、大丈夫ですよ。忘れてください」

そう返信してみるが、彼女は「私の気が済まないの」と言う。「私たちは同じ境遇だったわよね」と自分を語る。いえ違います、とは思うが送らずにおく。

きっとその出来事があったときは、彼女はすべての幸せを手に入れた気分だったのだろう。欲しいものが手に入った、ずっと憧れていた状況になれた。そう思うに足る状況だった。今の彼女のことは知らない。私にどんな思いで連絡をしてくるのかにも興味はない。本当に悔いているのかもしれないし、謝るどころかただ「自分のほうが幸せである」という確信を得たいだけなのかもしれない。私は人を呪うことはしないが、私の呪いだとしか思えないような不幸な出来事があったのかもしれない。いずれにせよ、なにか精神的に追い詰められて連絡をしてきていることは確実で、それはそれで気の毒なことである。

「終わった話ですし、そろそろ過去に生きるのはやめて未来を見ましょうよ」そう送ってみたが、返ってきたのはやはり懺悔の言葉だった。この流れは前回も前々回も、同じなのだった。

申し訳ないと思ったけれど「気にしていないので、もう謝罪はいりませんよ。今までありがとう」と、少し強めの口調で返して終わりにした。またいつか「あのときのことを――」とメッセージが来ても、もう返信はしないだろう。これがひどいことなのか、私にはわからない。もう、とうの昔に終わった話なのだ。

私のことなんか忘れて、今を生きてよ。過去に自分をピン留めするなんて悲しいことをせずに。そこから動けないなんて思わないで、自分が選んだ未来を肯定できるように。それでこそ、私を傷つけることがわかっていてもあなたが行動した意味があるというものじゃないか。傷つけておいて幸せにもなれていないのだろうかなんて、誰も幸せになれていないなんて、そんな悲しいことを想像させないでほしいよ。私の幸せを持っていったと思うなら、どうかきれいに輝かせて、素晴らしいものだと思ってやってよ。何度も謝罪してもらうより、私はそのほうが嬉しいよ。

そんな気持ちを虚空に放つ秋の日なのだった。気づいてくれよと思いつつ、そういう罰を自分に与えないと心が休まらないときも、あるのだよねと考えたりする。


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