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「さよならだけの人生」をめぐって

年齢を重ねれば重ねるほど、さよならの意味は多様になる。きっぱりと「さよなら」と言えることだけでなく、ひっそりと消えることもまた「さよなら」であることを知る。そもそも関係を始めないという「さよなら」の選択もある。そして時間が経たないと見えてこない「長いさよなら」もまた、あるのだ。

于武陵の「勧酒」という漢詩がある。

勧酒
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

これをしみじみと情のある日本語に訳したのが、井伏鱒二である。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二『厄除け詩集』講談社文芸文庫

月に叢雲、花に風。人生、輝ける瞬間ばかりではない、うまくいっていると思ったときに限って皮肉な出来事もある。そうしたものに切なさまじりの憧憬を抱くことは、年齢を重ねれば重ねるほど涙もろくなることとどこか似ている。今を精一杯良きものとして生きる、それをよくあらわした名訳だと私は思う。

劇作家であり演出家として昭和の時代に寵児となった寺山修司は、こんな詩を書いている。

だいせんじがけだらなよさ

うらないもしたけど
おまじないもしました
いろんなわけのわからない言葉を
言ってみるのです
魔よけ 災難よけ
そして悲しい事を忘れるための
さびしい時の口の運動
へんな言葉ほど
おまじないにはいいのです
私がよく言ったのは
だいせんじがけだらなよさ

どこの国の言葉だかわかりますか
だ・い・せ・ん・じ・が・け・だ・ら・な・よ・さ

さみしくなると言ってみる
ひとりぼっちのおまじない
わかれた人のおもいでを
忘れるためのおまじない
だいせんじがけだらなよさ
だいせんじがけだらなよさ

さかさに読むと
あの人がおしえてくれたうたになる

寺山修司『寺山修司少女詩集』角川文庫

寺山修司は「さみしいときの口の運動」として、さみしいときは母とともに、いろはにほへとの文字を鋏で刻んで順番を並べ替えて読んでいたというエピソードを『ポケットに名言を』(角川文庫)のなかで残している。「口ずさんでいるだけで何だかゆかいになってきました/つらいことなんてありませんでした」とのことだ。

さよなら、という言葉にどこか、魅せられていたのかもしれない。『寺山修司少女詩集』(角川文庫)におさめられた「HAPPY DAYS」という詩の一節には「さよならだけが人生ならば/ぼくのしあわせ何になる?」という文章も見られる。

時代はくだって平成となり、『バーテンダー』という漫画で「だいせんじがけだらなよさ」が引用されている。そこに至るまでに語られるベテランバーテンダーのエピソードは、実にしみじみとするものだ。バーテンダーである主人公は、戦後の混乱期からバーというもの、カクテルというものを誇りをもって確立してきた先人の「別れの一杯」を供しながらこう語るのだ。

別離は別れではありません
時と場所をどんなに隔てても
完璧な一杯を求める気持ちがあれば
心はつながっていきます

原作:城アラキ 漫画:長友健篩『バーテンダー』21巻 集英社

そして主人公を師と仰ぐ若手のバーテンダーは「だいせんじがけだらなよさ」の一節を脳裏によみがえらせるのだ。

だいせんじがけだらなよさ

だいせんじがけだらなよさ

さかさに読むと……


「だいせんじがけだらなよさ」、この言葉を目にしたどれほどの人が、忘れられない大切な人を思い返したことだろう。一度は心に決めた「さよなら」が嘘であってほしいと願ったことだろう。さかさに言えば「さよなら」がなかったことになるのではないかーーそんな希望を、かすかにでも持ってみたりしなかっただろうか。あの日に戻って、あの人とあの瞬間から人生をやり直すことができたら。だいせんじがけだらなよさ。だいせんじがけだらなよさ。さよならだけが人生なんかでは、そんなに悲しいことだけが人生では、あってほしくない。どうか、どうかそうでありませんようにと願いつつ。

寺山修司は女優の九條映子(のち今日子に改名)と結婚する。蜜月のときははかなく離婚に至るのだが、ふたりは離婚後も劇団を運営する同志として縁を続けていくことになる。そのときのふたりには、そういう関係性が必要だったのだろう。世界をまたにかけ、寺山の夢は広がり映子はそれを支えた。しかし1983年、彼は肝硬変を悪化させ、終わりのときを迎えるのだ。彼女が仕事先で最後に聞いた寺山の声は「早く帰っておいでよ」だったという。

彼女は寺山の死後、「三沢市寺山修司記念館」設立に力を注ぎ、全国で公演をするなど寺山の功績を広めるために力を尽くした。寺山の母とも交流を持ち続け、強い要望により寺山の義妹・寺山映子となる。そして彼女もまたこの世を去った後、愛用のノートに「返礼のことば」が発見されたという。冒頭の一文をここに引こう。

「皆さん 私は今日でお別れです そして寺山の待つ世界に行きます」
(寺山修司 九條今日子『寺山修司のラブレター』角川書店)

おまじないはもしかして、叶うのかもしれない。時を超えて。死を超えて。

大切な人がまだ胸のうちで生きているのに「さよならだけが人生だ」なんて思えない人も多いと思う。でも、いまはどう見たって破綻しているとしか思えない関係でも、人生の最後につながる、かもしれない。今はどうあれ愛しているのならば、そこに希望をもって強く、つよく今日という日を生きていくのも悪くないかなと思うのだ。たとえそれが幻想にすぎないとしても、誰かに思い込みだと言われたとしても。そこまで誰かを愛することができたということが、ひとの人生に一瞬の光芒を投げかけることも、あるのではないかとーー思ってみたり、するのだった。


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